戸塚区・泉区
公開日:2022.02.03
第75話〜一里塚は街道の休憩所と距離ポスト〜
とつか歴史探訪
■〜旧東海道・戸塚宿を訪ねる〜
街道といえば一里(約4Km)毎に設置された土盛りの一里塚がお馴染みです。一里塚は平安時代後期に奥州藤原氏によって東北地方に立てられたのが始まりですが、全国的には東海道に宿場が制定された3年後(1604年)に、徳川家康が子の秀忠に日本橋を起点とする街道に設置するよう命じ、約10年で完備したと言われます。道の両側に設置し、大きさは一辺が5間(約9ⅿ)の四方形、高さは1丈(約1・7ⅿ)という基準があったようです。
崩壊を防ぐため、太い根を張る榎や松などの樹木が植えられ、木陰で旅人が休息を取れるように配慮され、目的地までの距離の目安や駄賃(運賃)を計算するための距離ポストにもなっていました。
神奈川県内には20箇所、戸塚区には東から品濃町(平戸)吉田町、原宿の3箇所にあります。この内品濃一里塚は県内で唯一ほぼ原形を留める貴重なもので県の指定史跡に指定されています。日本橋から丁度10番目(約40Km)の吉田一里塚は今では立札のみとなっていますが、東海道分間絵図(菱川師宣筆)には道の両側に二本の榎が立つ当時の様子が描かれています。原宿一里塚も残念ながら立札のみで痕跡は何もありません。
ちなみに県内の東海道で当時の姿を偲ぶことができるのは品濃一里塚の他に茅ヶ崎と箱根畑宿にしかありません。今では殆どが原形を留めることなく立札だけか模造となっていますが、日を分けて一里塚跡を確認しながら街道をテクテク歩くのも楽しいものです。
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