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戸塚区・泉区

公開日:2022.04.07

第77話〜戸塚宿はどちらも坂越一苦労〜
とつか歴史探訪
■〜旧東海道・戸塚宿を訪ねる〜

 戸塚宿は江戸から42kmと旅人の一泊目となる最適地であることは知られています。実は前後に坂をかかえ、サアもう一つ坂越をと思うには難儀だったことが考えられます。



 江戸時代の東海道分間延絵図からみると、東海道を苦労して権太坂を登り切ると境木立場、ここから戸塚に入ると下りとなりご存じ"焼餅坂"〜"谷宿坂"となります。この先、品濃一里塚を過ぎると"大恵坂"から"品濃坂"と更に一気に下ります。この"品濃坂"は江戸の川柳「佐野の馬戸塚の坂で二度転び」と詠まれたと言われるほどの急坂です。ここから暫くは平坦となりますが、今では坂を余り感じませんが"不動坂"〜"柏尾坂"を越えヤット宿場の入り口・江戸方見附へ入ることが出来ました。宿場から藤沢に向かうには先ずは"大坂"、分間延絵図には"大坂"の記載はなく"一番坂"、大坂台を経て"二番坂"となっています。この坂も今よりは急坂で、下からおしりを押し小銭を稼いだとか。この先は松並木、今の西橫浜国際総合病院あたりで右に大きく曲りながら"女コロビ坂"。女性にはきつかったことが分ります。



 バス停「吹上」あたりは正に風が吹き上げる最高地点で、浅間神社前までを一気に下る"牡丹餅坂"を経ると原宿立場で一息付けました。この先は藤沢宿へと下っていきますが、下る手前に影取立場があり、藤沢からの登りもきつかったと思われます。坂に囲まれた戸塚宿、戸塚区内に四ヶ所もの立場があったことからも前後の坂が厳しく宿泊せざるを得なかった事を伺い知ることが出来ます。

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