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戸塚区・泉区

公開日:2022.12.15

第83話 〜御霊神社と鎌倉党の武将たち〜
とつか歴史探訪

 戸塚区と周辺の泉区、栄区、藤沢市、鎌倉市などには、鎌倉権五郎景正を祀る御霊(五霊)神社が数多くあります。戸塚区には汲沢町に五霊神社があり、また深谷町の三島神社も江戸時代には御霊社と称していました。

 日本には、非業の死を遂げた人の霊がこの世に祟りをなすと信じ、その霊をなだめ鎮めるため神として祀る、いわゆる御霊(ごりょう)信仰があり、各地に御霊神社が建てられました。

 桓武天皇は弟の早良親王を皇太子に立てましたが、親王が対立する藤原種継の暗殺にかかわったとして、皇太子を廃し淡路に流罪としました。親王は自ら食を断って亡くなりました。桓武天皇はその怨霊を恐れ、その霊を慰めるため崇道天皇の称号を贈りました。京都には崇道天皇を祀る上御霊神社が建てられ、それを桓武天皇の子孫の平(村岡)良文が勧請したのが藤沢市宮前の御霊神社とされています。後に村岡良文の子孫である鎌倉権五郎が合祀されました。

 鎌倉権五郎の子孫の大庭、俣野、長尾、梶原など、鎌倉党と呼ばれた武将たちが支配した地域には、宮前の御霊神社を分祀した御霊神社が多くあります。御霊(ごりょう/ごれい)と音が通じるところから現在では五霊神社と称しているところもあります。

 汲沢町の五霊神社は鎌倉権五郎のほか村岡良文など合わせて五神を祀っています。また深谷町の三島神社(旧御霊社)は鎌倉党の武将の一人梶原景時が勧請したと伝え、大山祇命と鎌倉権五郎を相殿に祀っています。

 この地域の御霊(五霊)神社は、平安末期〜鎌倉初期の鎌倉党の武将たちの活躍の跡をとどめています。

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