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戸塚区・泉区

公開日:2023.06.01

第89話 蚕の慰霊と養蚕業の発展を願った蚕霊碑
とつか歴史探訪

 日本に2000年くらい前(弥生時代)に中国から伝わったといわれる絹の生産。江戸時代〜明治時代には生産量が増え、安政6(1859)年の横浜開港では主力輸出品となりました。

 養蚕・製糸業は旧戸塚区では特に【1】戸塚区(中川村)【2】泉区(中和田村)と【3】瀬谷区(瀬谷村)などで明治20年代〜大正時代に盛んでしたが、関東大震災・大恐慌・太平洋戦争などで急速に衰えていきます。

 蚕の慰霊碑:【1】区内上矢部町松尾神社の「蚕霊神」碑は明治33年建立され震災で倒壊しますが、昭和2年に再建されます。養蚕業に関わった人たちの蚕への感謝の気持ちがこもった碑です。同じく上矢部町篠塚八幡社の鳥居横「蚕神社保食神」の碑は、日本書紀による"月夜見尊(つくよみのみこと)に切られた保食神(うけもちのかみ)の死体の頭から牛馬が、眉の上から蚕が生まれた"との古事に倣っています。

 【2】泉区中和田村役場跡地公園下の鳥居横の「蚕御霊神塔」碑、"慶応2年(1866)に霜で桑が枯れて蚕を育てることができず地中に埋めたが村をあげて慰霊した"とあります。上飯田の三柱神社の明治29年建立「蚕霊神鎮座」碑は、熱処理で殺したサナギを供養するものと言われています。

 【3】瀬谷区三ツ境「白姫神社」、阿久和の養蚕組合の守り神「お白様」を養蚕業の衰退に伴い現地に遷座し、現在は衣服・着物の神として信仰されています。多くの蚕霊碑からは、蚕に掛ける先人の思いが聞こえてくるようです。

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