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戸塚区・泉区

公開日:2023.06.29

第90話 参詣者を大山に誘う不動明王像 大山寺の不動明王像
とつか歴史探訪

 江戸時代になると関東地方各地で「大山講」が組織され、最盛期の宝暦年間(1750〜1760年代)には参詣者が年間約20万人を数えました。

 参詣のために各地から丹沢の大山に通じる「大山道」は関東一円に放射線状に広がりました。大山道の要所に点在する多くの石柱道標の上には怨敵や魔物を降伏させようとする威圧感に満ちた形相の不動明王像が鎮座しています。

 不動明王は真言宗などの日本仏教の諸派で幅広く信仰されています。それでは大山道標と不動明王像は何故ペアとなっているのでしょう。それは参詣者が目指すのは大山の頂にある阿夫利神社と中腹の大山寺であり、大山寺の本尊が不動明王像であるからです。

 この不動明王像は江ノ島海岸の良質な砂鉄を製鉄・鋳造して願行上人が10年をかけて文永11年(1274)に完成しました。不動明王像は徳川家光、春日局などにも篤く信仰され、一般庶民の信仰の対象となりました。また安政元年(1854)の大火で多くの仏像が焼失したにも拘わらず不動明王像は大事に至らず、さらに大山寺の僧侶やご利益を受けた民衆による尽力で廃仏毀釈も免れました。

 このように広く信仰と崇拝の対象となり、難を逃れた不動明王像を道中安全の思いも込めて道標上に置いたであろうことは想像に難くありません。

 不動坂交差点付近の柏尾通り大山道のお堂に正徳3年(1713年)造立の道標と不動明王像が安置されおり大山道への始点となっています。

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