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戸塚区・泉区

公開日:2023.12.21

第99話 サバ神社の謎と不思議 その2
とつか歴史探訪

  • 「サバ」の一つ佐波神社(藤沢市石川)

 戸塚区近隣の引地川、境川、和泉川流域一帯に「左馬」・「鯖」・「佐波」・「佐婆」と社号が異なる12社のサバ神社が点在します。どの神社も【源義朝】と【源満仲】を祭神としています。

 【義朝】が祭神である理由は、頻発した川の氾濫は平治の乱で殺害された義朝のたたりによるものとし、その霊を鎮めるためと考えられます。別の説として義朝の家臣・土佐坊昌俊の兄が境川流域一帯を治めており、義朝を弔う土壌がこの一帯にあったからと言われています。【満仲】については和泉地区に信濃国出身の泉親衡(ちかひら)に関わる伝承が多くあり、義朝よりも信濃源氏に近い満仲を祭神としたのかも知れません。

 「左馬」は祭神の源義朝と源満仲の役職がそれぞれ左馬頭(さまのかみ)と左馬介(さまのすけ)であったことに起因しています。

 「鯖」は初穂に鯖を神仏に供えるという全国的な風習からこの名が付いたと考えられます。また洪水で川の流域に多くの鯖が打ち上げられたので「鯖」にしたというこじつけ的な言い伝えもあります。

 「佐波」は神社が水害に見舞われた後、この名に変えられました。

 「佐婆」については正確な理由は不明です。どの「サバ」も義朝や満仲を祭神としているので最初の名は「左馬」であったと考えられますが真相は謎です。

 「七サバ参り」は江戸時代後期から明治時代まで、子供を背負って七つのサバ神社を巡ると子供は百日咳・疱瘡・はしかなどにかからない風習として盛んに行われました。興味の尽きない謎と不思議に包まれた『サバ神社』を巡ってみてはいかがでしょう。

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