栄区版 掲載号:2017年1月1日号 エリアトップへ

栄区のシンボルマークを考案した 尾浦 孝夫さん 犬山町在住 75歳

掲載号:2017年1月1日号

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町と共に残る作品を

 ○…栄区が誕生した翌年に制定された区のシンボルマークを、30年前に考案した。マークは400点以上の作品から区民投票で決定。「皆が助け合う良い町であってほしい」と、組体操のようなイメージで「栄」の文字が一目で分かるように表現したという。「自分が作ったものが今でも使われているのは喜ばしいこと」と目を細める。

 ○…出身は現在の香川県高松市。電機メーカーで製品の形状をデザインする仕事を担い、長年にわたりスピーカーなどをデザインしてきた。デザイン好きが高じて1961年には日本宣伝美術会(日宣美)の工場内標識試案に応募すると、見事に特選を受賞。それ以来、マーク作りに魅せられ、自治体や企業のマークに毎月のように応募し、徳島県阿波市の市章などが実際に採用された。「マーク作りは趣味みたいなもの。オリジナルのものを考えている時が楽しい」。

 ○…仕事の都合で現在の地に移り住んできたのは約40年前。当時の戸塚区上郷町で1982年、少年サッカークラブ「上郷JFC」を創設した。「サッカーは1人では勝てない。11人で協力して戦う面白さを知ってほしかった」。子どもたちのために審判の資格を取得したり、指導者の研修を受けるなど努力を重ね、発足当初は連戦連敗だったチームも全国大会で準優勝するまでに成長した。現在、チームは「横浜栄FC」と改称。今でも顧問として練習グラウンドの確保などに励みチームを支えている。

 ○…自宅には実際に採用された自治体のシンボルが書かれた紙や賞状から、作成中のアイデア用紙などが多数並び「頭の中ではいつも何かしらの形を考えている」。近年では東京五輪のエンブレムにも応募。「今でも自分の作品の方が良いと思っているよ」と笑みを浮かべる。「町がある限りは自分が死んでもマークは残る」。マークと共に栄区がいつまでもあり続けることを願っている。