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公開日:2011.04.28

「宮城で再びサッカーがしたい」
コバルトーレ女川・中島選手(原町出身)が心境

  • 実家のそば、JR根岸駅前で。「この辺りは今もジョギングコース。学生時代を思い出す」(4月22日)

 東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町。本拠地の支援活動を続けてきたサッカー東北リーグ2部「コバルトーレ女川」の中島礼司選手(31)=原町出身=が、4月半ば故郷磯子に一時戻った。地元クラブの一員として、今後いかに復興の力になれるか―自問自答を続ける日々だという。



 人口約1万人の漁港町、女川町の中心部を襲った20メートル級の大津波。海水に飲み込まれるコバルトーレ女川のホームタウンを、中島さんたちクラブ関係者は避難した山上からただ見つめるしかなかった。



 2週間ほど断水と停電が続き、食料も物資もない避難所。しばらくは行政や自衛隊の手も届かない陸の孤島でチームが取り組んだのが、水や食料の配給だった。チームスポンサーで選手たちの勤務先でもある、地元の水産加工会社らと手を組み、支援活動を開始。自家発電で作ったかまぼこと、即製の給水タンク車に吸い上げた水を避難所に配り回った。



 「いつも地元の皆さんにお世話になりっぱなしのチーム。一番きつかった時期にこの場所にいて、少しでも力になれたのはよかった」と中島さんは振り返る。



 練習場はヘリポートや自衛隊のテントなどに変わった。「本当はサッカーで町民の力になりたい。でも今やれることを自分たちで考えて動かないと」。町は少しずつ機能を取り戻し、選手たちの支援活動は4月半ばで区切りがつけられた。



 今年1年はチームの活動休止が決まった。来季の活動再開に向け、選手一人ひとりが直面する課題は今後のキャリアや進路だ。「町があってのコバルトーレ。女川が復興すればチームも再生するはず」。町民と家族のような距離感で人間関係を築いてきたのは、中島さんだけではない。



 高校卒業後、複数クラブを渡り歩き、女川では選手兼任監督も務めた中島さんは選手としての再スタートを誓う。「目標はプレーする姿を町民に見せること」。

 

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