本牧 気まぐれ歴史散歩 番外編(2) 横浜開港と感染症との闘い上下水道と「共助」の始まり 横浜疫病史から
現在の水道・下水道の基盤となっている近代水道・近代下水道が初めて日本に整備されたのは、ともに横浜の居留地だということは、みなさんご存知のとおりです。下水道は明治4(1871)年に、また水道は明治20(1887)年に完成しました。
しかし、横浜の上下水道の整備には、横浜の急激な都市化による問題の発生や感染症との闘いがあることは、あまり語られることがありません。六大都市と呼ばれていた当時の横浜は、数百年以上の歳月をかけて都市となった東京・大阪・京都・名古屋・神戸とは異なり、開港場となったことで突如誕生したことから、インフラ整備が人口増加に追い付かず、公衆衛生も急速に悪化しました。水道・下水道の整備は、開港場として日本の玄関口となった横浜で感染症拡大を阻止し、人々の生活を守るために最優先された事業でした。
明治30(1897)年に伝染病予防法が制定され、日本各地に衛生組合という共助組織も結成されていきました。自治体からも支援を受けながら、地域に住む人たちが協力して、町の清掃活動や害虫駆除・予防接種を推進し、公衆衛生の向上・感染症の予防に努めました。この活動が、現在の町内会・自治会となり、今も地域の暮らしを支えています。
震災や台風などの自然災害が続く中、現在「共助」の在り方が見直されつつあります。今は感染症拡大防止の為、お互い物理的な距離は保ちながらも、近隣の方々を気遣う「共助」の気持ちも忘れないで、みんなで日常を取り戻すために頑張りましょう。(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)
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