本牧 気まぐれ歴史散歩 91 重要文化財の旧東慶寺仏殿
旧東慶寺仏殿は禅宗様式を基調とした美しい建物で、寛永11年(1634年)に北鎌倉駅近くにある東慶寺に建てられました。原富太郎が東慶寺住職と交流があり、東慶寺で維持が困難になったことから、明治40年(1907年)に三溪園内に移築したものです。
大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡すると、豊臣秀頼の正室であった千姫(徳川家康の孫)は秀頼の娘・天秀尼を養女とし、東慶寺に入寺させました。東慶寺所蔵の棟札には天秀尼がいる東慶寺に千姫が寄進したと記されています。棟札とは、建物の由来や、工事年月日、建築者や大工の名前等を書いて屋根裏などに貼り付けておく記録です。
今回の修繕では、どのように造られたのかを確認しながら部材を外して解体し、部材を「放射性炭素14C年代測定法」と呼ばれる科学分析で、材料となる木材がいつ切り出されたものかの測定も行われました。木材が切り出された年に建造されたとは限らないので、建造年を特定するものではありませんが、記録を裏付ける科学的根拠となります。
半解体修理の結果、仏殿は解体した別の建物の部材を再利用している可能性が見出されました。この仏殿は非業の死を遂げた三代将軍・徳川家光の実弟・忠長の屋敷跡を部材として使ったとの伝承もあり、さらなる検証を進めていこうとしているようです。
三溪園南門を出て、また崖に沿って歩いていきたいと思います。
(文/横浜市八聖殿館長 相澤竜次)
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