神奈川区 社会
公開日:2025.08.14
生き残ったからこその使命
新子安在住 荒井咲枝さん(88)
新子安在住の荒井咲枝さん(88)の手元には、10年以上前からため続けた手書きのメモが何枚もある。
「この経験が世に出ることで、私の人生にも終止符が打てる。やっと肩の荷が下りるんです」。そう言って手記の束を広げる。80回目の終戦記念日を前に、当時8歳の少女の目に焼き付いた東京大空襲の記憶だ。
閉ざされた防空壕の音
隅田川と荒川に挟まれた、現在の江東区南砂町のあたりで暮らしていた荒井さん。1945年3月10日の未明。下町の日常は、一夜にして火の海に変わった。
妊娠8カ月の母と父、妹と弟の一家5人で、迫る火の中を必死で逃げ惑った。川のそばにあった防空壕に向かったが、中は既に人で一杯だった。父は「せめて子どもたちだけでも入れてください」と頼むが、目の前で無情にも扉は閉ざされた。その時の「バタン」という絶望の音は、80年経った今も耳の奥にこびりついて離れない。
近くにあった1畳ほどの穴に入り、皆で丸くなって過ごした。防空頭巾に火がついた父がたまらず川に向かうと、助けを求める人が何人もいた。「助けたら自分もおぼれてしまう」と、家族のために手を差し伸べることはできなった。入れなかった防空壕にいた人たちは、全員煙に蒸されて亡くなっていた。
母の手足になって
父の親族がいる秋田まで行こうと、まずは上野駅を目指した。煙が入り目が見えなくなった母の手を、幼い荒井さんが引いた。真っ黒に焼け焦げた死体が転がる道をまたぎながら、「私が母の手足にならなければ」と身重の母の手を握って必死で歩いた。
道中、家族を探しに来たであろう見知らぬ人から、竹の皮に包まれた塩むすびとたくあん漬けをもらった。「私たちを見てかわいそうに思ってくれたのでしょう。5人で分けてかぶりつきました」。
途中にあった学校で一晩を明かし、上野駅から汽車で秋田に向かった。裸足のままだった家族を見かね、途中の山形で父がわら靴を購入した。胴巻きに入れていたお金が、幸運にも焼けずに残っていた。
冥福祈り続け
あの日入れなかった防空壕で亡くなった人たち、父が助けられず溺死した人たち、そして自分がまたいだ真っ黒な死体-。その思いは80年間残り続けた。「この記憶を世に伝え、冥福を祈ることが、いま生きている私のせめてもの務めなんです」。1時間半近く思いを語った荒井さんは最後に「これで楽になります。今日はゆっくり寝られます」と穏やかな表情を見せた。
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