今年は終戦何年目となるか、みなさましっかりと覚えているだろうか。コロナ禍で忘れがちになるかもしれないが、しっかりと後世へ伝えていくべきだろう。
という事で右の記事を読んで、エージェントTが宮前区から届けられたという石標を追った。
お隣、中原区にある川崎市平和館へ足を運ぶと、職員が丁寧に案内してくれた。どうやら石標は陸軍軍用地境界標で、東部62部隊溝ノ口演習場の境界標だったようだ。写真を撮っていると「地元宮前区に残っているものを撮影した方が良いのではないですか」との一言にとんぼ返りした。
「馬絹」という情報だけが頼りだったが、自治会長に聞くとすぐに判明。あるお宅を紹介してくれた。石標は植え込みの中にあり、やぶ蚊と格闘しつつも「昔はこんな所に境があったのか」と考えながらシャッターを切っていると、「軍が要らないから持っていけ、っていうのをリヤカーでもらってきたんだ。そんなに珍しい物なのかい」とご主人。さらに聞くと、もう1本が家の裏に寝かせてあった。昔はあちこちにあったようだ。高さは120cm位だろうか。結構地中に埋まっているようだ。
しかしここで、他にもお宝かと思われるものがまた出てきた。これは次回のT(タウン)TD(探偵団)でお伝えするのでお楽しみに。
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