連載第三回 宮前歴史探訪記 向丘の交通【3】 南武バスと立川バス
昭和7年頃に平瀬川に初瀬橋が架かり、狭かった道路は拡張、曲がりくねった道路は真っすぐな新道にとって変わるなど、道路が除々に整備された。これにより、雨の日は初山止まりだった乗合自動車も蔵敷まで走れるようになり、除々に乗合自動車の利用者も増えてきていた。
昭和10年頃になると、南武鉄道(後の国鉄南武線、現JR南武線)が鉄道事業への客を見込んでバス事業にも参入。安井忠之氏が営んでいたバス路線を買収し、溝口〜蔵敷間に今までの乗合自動車よりも一回り大きい南武バスを走らせた。更に南武鉄道は昭和15年に立川自動車運輸を傘下に収め、バス事業を立川自動車運輸に引き継がせた。ところが親会社の南武鉄道が戦時買収私鉄指定によって昭和19年に国有化され国有鉄道南武線となってしまった。バス事業はそのまま立川自動車運輸が引き継ぎ、南武バスとして運行を継続してきた。その後、立川自動車運輸は昭和22年に社名を立川バス株式会社に変更。その際にバスの名称も南武バスから立川バスに変更し営業を続けてきた。
そのような中、昭和25年に市営バスの営業を開始(扇町線、浜町〜新丸子駅前)した川崎市は、更に市内のバス路線の拡充に向け、立川バス(株)が所有していた市北西部のバス路線(蔵敷線・登戸線・矢ノ口線)を買収。これにより5年間に渡って溝口〜蔵敷開を走り続けてきた立川バスは、昭和27年7月31日をもってその幕を閉じた。/宮前の歴史を学ぶ会・杉田墾生
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