18年ぶりにプロ野球セ・リーグをアレ(優勝)した阪神タイガースの球団歌、通称「六甲おろし」(阪神タイガースの歌)は、川崎市と縁が深い歌である。
六甲おろしを作詞した詩人・佐藤惣之助は、今年起立400年の東海道川崎宿の本陣を預かる家に生まれ、川崎をこよなく愛した。生家は川崎信用金庫本店の場所で、今は惣之助の碑が設けられている。
20年前の2003年、阪神は1985年以来、18年ぶりの優勝を果たした。この年の9月、川崎信用金庫本店前(川崎区砂子)にアクリル板の六甲おろしの歌碑が惣之助碑の上に1年限定で設置された。除幕式では法被姿の阪神ファンが集まり、六甲おろしを歌ったことが当時の新聞で報じられている。
歌碑設置の中心的人物の一人が当時、市議会副議長だった佐藤忠さん(82)=多摩区=。川崎出身ながら中学時代からの虎党。「長男や孫もその血を引き継いでいる」という。佐藤さんによると、川信本店を会場に開催された惣之助展で、阪神ゆかりの記念グッズを展示したいので貸してもらいたいとの相談があったという。その流れの中、六甲おろしの歌碑設置も行われた。ちなみに、佐藤さんは85年に優勝記念のプレミアムウイスキーなどを貸し出したという。
佐藤さんが相談したのが、川崎市観光協会会長で元参議院議員の斎藤文夫さん(95)=川崎区砂子=だ。斎藤さんは文化団体「川崎今昔会」を主宰。同会は惣之助の誕生日12月3日には惣之助が作詞した歌を熱唱する「闇汁会」を毎年開催して偲ぶ。10歳の頃、父親に連れられた店で惣之助に遭遇し頭をなでられたのが斎藤さんのよき思い出だ。
とはいえ「複雑な思いだったよ」と斎藤さん。実は斎藤さんは大の巨人ファン。それでも惣之助が作ったのだからと協力し、この時ばかりは大きな声で六甲おろしをうたったと苦笑いを浮かべる。「惣之助は巨人の歌も作っている。巨人が優勝した時には熱唱するのが夢なのだが」と斎藤さんはつぶやく。
六甲おろしは川信近くの稲毛神社でも歌われた。歌手のアントニオ古賀さんがステージに立ち、皆で合唱したのだ。「川崎の地で声高らかに歌えたことは無上の喜び。全国的に知られる六甲おろしを手掛けたのが惣之助であったことは、市民として自慢できる」と佐藤さんは語る。
ところで、その後の「アレ」(歌碑)はどうなったのか。「20年も経過しており、どうなったのかわからない」と皆、口をそろえる。「おーん、そらそうよ。ふた昔も前のことやん」。岡田彰布監督の口癖が聞こえてきそうだ。
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