『ベールに包まれていた南洋の島々』を9月に発表した 長谷川敏(さとし)さん 南区相模台在住 82歳
鎮魂の「南洋見聞録」
○…きっとどこよりも綺麗な満天の星空、クリームソーダをこぼしたかのようなエメラルドグリーンの海洋。昭和30年代に、星の動きを観察し緯度経度を測量するため、マリアナ諸島(グアムやサイパン)やパラオなど、島々を転々とした。当時の日本の新聞にはこうある。”戦後初の日本人訪問者”―。このエリアはアメリカの統治下。原水爆の実験を繰り返していたため(ビキニ環礁など)、外国人の立ち入りは許されていなかった。その時、島々で見聞きした文化・風俗を、友人に薦められ、このほど一冊の本にまとめ上げた。
○…世田谷の出身。まだ東京でも星たちが輝いており、夢中で流れ星を観察した。国立大学で天文学を専攻。その後、就職し海外で天文測量を行う部署に配属。昭和31年から39年まで米軍の依頼で戦前に日本領だった南洋の島々へ特別に赴(おもむ)いた。人々は裸体に腰蓑(こしみの)を纏い、石のお金で買い物をする。ある現地人は「東條サンハドウシテル?」と元首相を気遣っていた。「何千キロも離れた異国のことを知っているんですから、面食らいますよ」。
○…測量の仕事に携わった後は、定年退職まで私立の中高で教員を務めた。「星がよく見えたから」と、数十年前に東京から相模原に移住。”天体観測のできる屋上”が自慢の戸建を手に入れた。しかし、今や27万人を擁(よう)する南区では、「あかる過ぎて観測できない」そうだ。
○…第二次大戦後から昭和40年代までの約20年間、誰も知ることができなかった南洋の地。「仕事とはいえ、滞在者は自分を含めてほんとにごくわずかだったわけです」。この知られざる土地で、数多(あまた)の日本兵の命が散った。しかし、そこはアメリカのベールに包まれていた。現在は、すっかり観光地化された場所も少なくない。「まだまだ未開発だった戦後まもなくの様子を記すことで、遺族の方が戦中の現地を伺(うかが)い知る一助となれば」。
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