さがみはら南区 社会
公開日:2025.08.06
悲惨さ知らずとも
麻溝台在住 與儀敬太郎さん(87)
「沖縄の基地を引き取る会」に所属し、沖縄の戦争をはじめ、様々な戦争資料を集めながら世界へ平和の必要性を訴えている。
戦時中、避難のため生まれ育った小禄村(現在の那覇市)から為又(びいまた)(現在の名護市)の山に囲まれた林の中にある小屋に母や祖父母、兄弟ら8人で移り住んだ。椎の木の身を拾って食べていたら近くから大きい音がした。時々米軍が偵察に来たときには、緊張感があった―。
「小学校低学年であまり覚えていないし、戦争の実感がなかった」。再現された避難小屋の写真を指さしながら「こんな立派なものじゃなかったけどね」と振り返る。近くで聞いた大きな音は為又から約5Km離れた八重岳で日本軍が艦砲射撃を受けていたものだった。
高校卒業後に沖縄を離れた。79歳まで戦争についてあまり考えたことがなかった。「96歳まで生きた父はシベリア抑留から生き延びてきたけど、その時の話でさえ全く聞いたこともなかったことも影響していると思う」と話す。
「こんな近くで」
定年後、これからはカラオケや旅行を楽しもうと思っていたが、偶然「沖縄の基地を引き取る会」というキーワードが目に付き、集まりに足を運んだ。「『基地をやめる』という発想がすごいと思った。故郷である沖縄について考えてくれる人がいる」と驚いた。
それをきっかけに沖縄での戦争について調べるようになった。今では体験記の記事や本で書斎がいっぱいになるほどだ。
幼い子どもが足を持たれ、壁に打ち付けて殺されたという体験記を読んだ。それが自身が避難していた為又から約3・5Kmしか離れていないところで行われていたという。「こんな近くで悲惨なことが起きていた。自分は何も知らなかった」。
人前で話すのが苦手だというが、集めた体験記をもとにしたスピーチを4月からはじめた。「語り部をしていた同級生が体調を崩して活動ができなくなってしまった。その代わりにはならないかもしれないけど、伝える義務がある」。悲惨さは知らずに育ったが、今後も平和を訴える。
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