海老名むかしばなし 第21話「摩尼山(まにさん)の七不思議(五)笑う閻魔様」
大谷の如意輪観世音のお堂のとなりに閻魔堂があるが、ここの閻魔様は、無実の罪を訴えてお願いすると、冤罪が晴れる場合は笑い顔をされるというので「笑うおえんまさま」と言って、江戸時代から村人たちに親しまれている珍しい閻魔様である。
凶作は一年で終わるものではなく、必ず何年か続くと言い伝えられているが、天保三年(一八三二)の旧暦八月一日、稲の出稲期に襲った台風で稲作は全滅し、それから凶作は五年続いた。
その天保の飢饉の時、貧農の倅が稲束を盗んだというので、老いた両親ともども村を追い出されることになった。
大根一本でも盗難にあえば大騒ぎとなり、被疑者は観音堂の広場で、農民大衆の裁きを受けねばならず、それに対してはたとえ親類縁者でも、一言半句の口出しも許されず、場合によっては、同類として村八分にされた時代のことである。
身におぼえのない若者は潔白を主張し続けたが、百姓たちは気ちがいのように村の秩序と掟の実行のみを喚きたてた。
若者は閻魔堂の前に進むと、「ほんとうに罪を裁く閻魔様なら死後だけでなく、現世の善悪も裁いてください」と訴えた。この時、閻魔大王は大口をあけて笑い、
「他人に罪をなすりつけた悪人を今あぶりだしてやる」
そう言うと、口から火焔を一丈(三メートル)も吹き出した。その焔は一番うしろにいた、いつも正直者よ善人よと言われていた百姓の髪の毛をぢりぢりと焼き、その男は「盗んだのは私です」と悶絶した。
現在は年代によるいたみや近所の子供のいたずらで、大王の像も昔日のおもかげは見られないが、不思議なことにそのお顔は、疚しい心を持った人には忿怒の相と見えても心正しい人には哄笑のお顔と見えたようで、今でも見ようによると、目元、口元何となく笑っておられるように見えるのは不思議である。
明治時代に起こった土地にからんだ訴訟問題で、この閻魔大王に願をかけ、二一日間参籠して勝訴した人もあったと聞いている。
参考資料/海老名むかしばなし
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