「鎌倉殿の13人」に綾(あや)なす歴史話
☆綾瀬と鎌倉殿
―渋谷重国2
前の回で紹介した渋谷重国ですが、平家方からどのようにして鎌倉幕府の御家人となったのでしょうか。
重国の動向を知るうえで欠かせないのが、重国が庇護していた佐々木氏の存在です。治承4(1180)年8月に、「源頼朝が"打倒平家"の意思を固めていることが平家方に漏れている」という情報を頼朝に伝えたのが、佐々木秀義と渋谷重国でした。この情報に対して頼朝は、伊豆にいた平家方の判官・山木兼隆を8月17日に討つ計画であると、8月13日の手紙で重国へ伝えており、重国が源氏・平氏の情報の結節点にあったことが分かります。
また重国は、佐々木兄弟が8月17日の山木館襲撃や8月23日の石橋山の合戦へ、源氏方から参戦することを黙認したのです。石橋山合戦で頼朝の軍勢が敗れたさいには、自身は平家方として参戦していたにも関わらず重国の館へ逃げ帰った佐々木兄弟を匿いました。重国は、頼朝の平家追討や幕府成立に貢献する人物を守り、鎌倉殿を陰で支えていたのです。
重国がどのタイミングで源氏方に転じたか、定かな時期は示されていませんが、大庭景親ら平家方の武士が敗走する以前だとすると、頼朝の軍勢が武蔵国府に入った9月頃には源氏方へ転じたと考えられます。養和元年(1181)には、頼朝が重国の子・高重に忠節などを理由として、知行していた土地を安堵しており、これをもって、渋谷氏は鎌倉殿の正式な御家人となりました。この後、渋谷氏は、鎌倉方を代表する武士の1人となっていったのです。重国の動向は、大きく世の中が移り変わろうとしている時期に、所領を守ろうと奔走した在地領主の姿をうかがい知ることができます。
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