海老名むかしばなし 第35話 法塔様【3】
最も残念だったのは、国分寺の法燈を継いでいた薬師院が焼けたことである。幸いご本尊様や日光、月光両菩薩、十二神将様は助かったが、聖武天皇のご宸筆(天皇の筆跡)である「四天王護国之寺」の勅額のほか、長持三個に秘められてあった古文書が灰になってしまったことである。
こんなことがあったので、ある信心深い人が用田(藤沢市)の稲荷様に伺いを立ててもらったところ、明治直前、大釜でだまし討ちにした人のたたりであるから碑を建てて祭るようにとのことで、大正三年(一九一四)十一月、村の有志で中新田の海源寺の日洽和尚を頼み開眼供養主になってもらい、「開妙院日悟信士」の改名をいただき、これを碑の右側面に刻んだ。
この碑の表面には「南無妙法蓮華経法界萬霊」という言葉が刻まれ、国分寺所有地内の堂坂の右側に建立され、盛んな法要が営まれた。高さは一・三メートルほどのこの供養塔を村の人は”法塔様”と呼び習わした。
時が流れ、この塔はいったん坂下に移されたが、そこにサイレン塔が立ってしまい、草に埋もれていたので、昭和四十八年(一九七三)、今の第一分団消防器具置場の前(国分一七三九番地付近)に再度移転した。
塔の裏面に当時の世話人たちの名が合計二〇名陰刻してあるので、移転したその秋、子孫たちその秋、子孫たち全員で供養をし、法塔様の霊を慰め、今日に至っている。
参考資料/えびなむかしばなし
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