清川村の煤ヶ谷駐在所の入内島博巡査部長が定年を迎え、23年間過ごした清川村を離れることになった。通学路での見守りや村内パトロールなどでお馴染みだった入内島さん。長年の感謝を込めて2月21日には、村民有志による感謝のつどいが開催された。
入内島さんは1992年3月に煤ヶ谷駐在所へ着任した。「群馬の生まれ故郷に雰囲気が似ていて、ここならやっていけそうだなと思いました」と清川村との出会いを振り返る。
農家の生まれで「安定した職業である公務員になりたかった」と、地元の高校を卒業して当時の日本国有鉄道(国鉄)に就職した。
国鉄では、鉄道内の犯罪に対応する鉄道公安職員として14年間勤務した。その後、1987年に国鉄が民営化。初代の鉄道警察隊として5年間務めた後は、横浜市南区の交番でも勤務した。
その後に着任した清川村では当時、峠の道で「ローリング族」の危険な運転が問題となっていた。
入内島さんは深夜や休日を問わず、情報が入ると出動を繰り返した。行政との連携もあって、約4年間でほぼゼロまで減らすことができたという。また、山に囲まれた地域だけに山岳遭難が発生することもあった。「残念ながらお亡くなりになっていたとしても、ご遺族にご遺体をお渡しできた時は、少し心が休まりました」と語る。
ご結婚は清川に住んでから。夫人のちよ子さんは助産師でもあり、清川村ではお産や乳児健診を手伝い、地域に頼られる存在でもあった。入内島さんご夫婦も一男一女に恵まれ、「子育ての面でも清川の皆さんに支えていただいた。自分の住む場所が平穏でいてほしいと常々思ってここまで来れた。ありがたいことです」と話す。
入内島さんは3月5日が移動日。引っ越しの準備やあいさつ回りなどもあって3月中旬まで村内に住まいを借り、その後は故郷の群馬県渋川市でカイロプラクティックの施術院を開く。
第2の人生に備え、3年ほど前から技術の習得に励んでいたそうで、既に村内でも腰痛や肩こりに悩む人をみていたという。
入内島さんが清川を離れることを受けて、地域の住民が「お世話になった入内島さんに『ありがとう』を伝えたい」と、「入内島ご夫婦感謝のつどい」を企画。これが口コミで広がり、当日は会場の生涯学習センターせせらぎ館に100人以上が集まった。
つどいでは、参加者たちが順番にマイクを持って「私たちを守ってくれてありがとうございました」「いつまでも元気で、仲の良いご夫婦でいてください」と、入内島ご夫婦に感謝の言葉を贈った。
また、ご夫婦の写真がラベルに入った日本酒や花束など記念品のほか、全員で「贈る言葉」など感謝の合唱も行われた。
入内島さんは「こんなに親しくなれるのも清川ならでは。このようなふれあいを、これからも大切にしていきます」と挨拶した。
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