神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS
愛川・清川版 公開:2016年3月25日 エリアトップへ

「糸の町」を後世に 半原に石柱建立

社会

公開:2016年3月25日

  • X
  • LINE
  • hatena
建立された石碑と井上さん(左)、小野澤町長
建立された石碑と井上さん(左)、小野澤町長

 かつて半原の一大産業として栄えた撚糸業。その「糸の町」としての歴史を後世に伝えようと、愛川町半原の井上愛司さんが町に「撚り糸発祥の地」の石柱を寄贈した。3月18日には、除幕式が行われた。

 寄贈された石柱は、愛川町半原にある愛川繊維会館「レインボープラザ」から徒歩5分ほどの中津川沿いの町有地(半原4433の4)に建立された。

 高さは170cmで、御影石を使用。「撚り糸発祥の地半原」の文字は、小野澤豊町長が揮毫したものをそのまま忠実に刻印している。

 除幕式には小野澤町長や佐藤照明教育長のほか、近隣の住民も参加した。井上さんは「皆様のおかげで建立することができ、私にとって最大の喜びの日」とあいさつ。小野澤町長は「思いを受け止め、書かせていただいた。多くの方に石柱をご覧いただき、糸の町の歴史がいつまでも引き継がれるよう願っています」と話した。寄贈者である井上さんには、町からの感謝状が贈られた。

 井上さんは、12年ほど前まで「丸石撚糸合資会社」を経営し、繊維業の一役を担っていた。半原撚糸協同組合の幹事や常務理事など要職も務めた。「組合の会員数は、一時は300人以上だった」という。

 海外製の安価な糸の出現で半原の撚糸業は徐々に衰退し、撚糸組合も2013年に解散となった。町では郷土資料館や工芸工房村、繊維会館などで糸の歴史を伝えているが、年代を重ねるごとに当時を知る人が少なくなっていく。井上さんは「半原が糸の町であることを後世に伝えていくのは、今を生きる人の役目だと思って寄贈させていただいた。形にしていけば、いつまでも残っていくからね」と思いを語る。

半原絹の歴史と今

 半原の糸の歴史は、江戸時代まで遡る。

 かつての半原村は、相模の三大養蚕地の一角として養蚕が盛んな土地だった。山間の土地だけに水田や畑作が困難だったこともあり、人々は農業だけでは立ち行かず、高価な絹の撚糸は副業として広まった。半原の地形が撚糸業に必要な一定の湿度を保つこともあり、江戸時代には「半原絹」が上等品として名を馳せた。

 19世紀はじめに「八丁式撚糸機」が伝わり、飛躍的に生産の効率があがる。この撚糸機の動力に水車を活用する技術が生まれると、中津川に注ぐ多くの沢を利用して水車が作られ、水路が発達した。これら撚糸用の機械や器具の製造には、優れた技術を持つ半原の宮大工たちが大きく貢献したという。

 現在、半原・田代地区の繊維業者は30件程となったが、町では「愛川ブランド」として繊維製品を幅広くPRし、販路の拡大を模索している。

 建立された石柱の目の前には、石づくりの水路が清らかな水音をたてる。半原の山並みとともに、石柱が新たな語り部となり、土地の歴史と人々の思いを静かに語り継ぐ。

愛川・清川版のトップニュース最新6

大空泳ぐ男たちの鯉のぼり

大空泳ぐ男たちの鯉のぼり 社会

町美化プラントで6日まで

5月1日号

絆の歌 母校に響く

絆の歌 母校に響く 教育社会

愛川中学4期生がクラス会

4月19日号

佐藤氏が接戦制す

愛甲郡県議選

佐藤氏が接戦制す 政治

447票差で初当選

4月19日号

春の大祭 記念の130回

田代半僧坊

春の大祭 記念の130回 文化

大般若御祈祷や写真展も

4月5日号

卒業証書は伝統和紙

田代小半原小

卒業証書は伝統和紙 文化

技術学び児童が手漉き

4月5日号

20年の活動に幕

愛川町西部地域まちづくり推進委員会

20年の活動に幕 社会

沿道イベントなど地域に尽力

3月22日号

あっとほーむデスク

  • 1月25日0:00更新

  • あっとほーむデスク

    1月15日0:00更新

  • 8月14日0:00更新

愛川・清川版のあっとほーむデスク一覧へ

バックナンバー最新号:2019年5月1日号

お問い合わせ

外部リンク