茅ヶ崎・寒川 社会
公開日:2025.09.05
戦争がマヒさせた「死の恐怖」
茅ヶ崎市在住 中野敬子さん
1945年3月10日の東京大空襲では、アメリカ軍の約300機のB―29爆撃機が来襲し、約10万人の命を奪った。当時5歳でその光景を目の当たりにした茅ヶ崎市在住の中野敬子さん(85)が当時を語る。
中野さんの自宅は現在の東京都世田谷区にあった。あの日、空襲警報が鳴ると、背中に身分証明書などの書類や弟のおしめを背負い、大切に育てていたというほおずきの植木鉢を抱えて近所にある防空壕へと急いだ。
自宅近くは空襲による大きな被害は免れたというものの、母親の頭に落下してきた焼夷弾の破片が当たり、痛々しい傷跡を残した。「防空壕から遠くに見える街が炎で真っ赤に染まっていて、思わず『花火みたいだね』と言ってしまい、父に叱られたの」
父に連れられて近くの小学校に出向いた際、無数の死体が並べられているのを目にしたこともあった。「父の発した『これが戦争なんだ』という言葉が今でも鮮明によみがえる」
中野さんは当時のことを思い出して不思議な感覚になるという。「人の死は当たり前すぎて、怖いという感情がないの」。飛行機が墜落し、パイロットの遺体が木の枝にぶら下がっているのを見ても、そこに恐怖はなかったという。
中野さんは、家族とともに疎開した奥多摩で終戦を迎えた。戦後は自動車関係の仕事に就く父のおかげで「生活面で困ったことは少なかった」というが、「小学校には裸足で通った。紙やペンはないから棒で地面に文字を書いてひらがなを覚えた」と振り返る。
あれから80年。今でも、中野さんは幼いころの記憶に胸を痛める。それでも当時を生きた身として、子どもたちに戦争の無残さや恐ろしさを伝えたいという。「争いはあれど、いかに思いやり、ゆとりがある心を持てるかが大切だと思う」
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