80年代に東京原宿で盛り上がった「ローラー族」。かつてこの寒川町から毎週のように電車で通い、踊り続けたチーム「クルージング」があった。代表を務めたのが、小動に住む脇幸治さん(61)。歩行者天国を盛り上げたツイストやステップは今も健在だ。
「もう膝が痛くてね」とぼやきながらも、体をくねらせてキレのある足さばきを見せる脇さん。汗だくの黄色い衣装は、当時流行したボウリングシャツだ。宝物という自作の革ジャンには「ロックンロールが俺たちの生き様」という意味の英文が入っている。旭が丘中に通っていた頃は普通の中学生だったが、町外の高校に入った頃から原宿の文化に憧れるようになった。その後、寒川町内の後輩や友人など20人ほどを集めチームを結成。頭に整髪料をつけてリーゼントにし、小田急で代々木公園公園近くに通うようになった。ラジカセと洋楽のテープも運び込み、果てしなく踊り続けたという。
居場所は田端のゲームセンター
地元寒川に踊れる場所はなかった。居場所といえば、産業道路沿い(田端)にあったゲームセンター。現在はパチンコ店になっているが、24時間営業だったこともあり、茅ヶ崎や海老名からも若者が集まった。脇さんはロックンロールを通じてアメ車にも傾倒し、迫力あるマイカーで寒川を駆けた。燃費はリッター1Km程度だったそう。
その後仕事が忙しくなり、原宿からは足が遠のいた。しかし脇さんはいつでも青春時代に帰ることができる。企業で働きながら倉見の住宅街で営んでいる雑貨屋。店名は「タイム・マシーン」。置かれているのはロックンロールなムードのアメリカン雑貨やネオンサイン、自転車、キジの剥製もある。どれも脇さんの半生を象徴するよう。たまに一角に置かれたインベーダーゲームに没頭している。
寒川版のローカルニュース最新6件
|
|
|
|
桜色に染まる週末4月12日 |
|
<PR>