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寒川 社会

公開日:2022.03.04

【Web限定記事】
「忘れぬ」 「絆」 いまは
震災から11年

 寒川駅前広場が完成したばかりの2011年3月11日、寒川町も震度5強の揺れに襲われた。11年が経ち、当時を語る機会は減りつつある。取材を通じ「寒川は、とくに被害もなかった」という声や「風化」の指摘を受ける。今に生きる経験や記憶はないのか、改めて町内で聞いた。





 





【ブロック倒壊5件、瓦落下3件 相模線、全線復活まで14日間】





 





 





 緊急地震速報の音を聞くのは初めて、という人も多かったようだ。「家が壊れるかと思うほどの揺れがあり、近所から悲鳴が聞こえた」「防火水槽の蓋の穴から、水が飛び出るほどだった」と記憶する人もいる。本紙記者(当時)は車の運転中に緊急地震速報を聞いた。地面は波のように動き電柱が揺れた。産業道路で車がハザードランプをつけて止まっていた。火災や人的被害はなかったが、ブロック倒壊が5件、瓦落下3件、水道管の破裂などもあった。相模線は止まり、町民センターや寒川高校が帰宅困難者の待機所に。駅周辺は送迎の車で渋滞した。





 





 ガソリンスタンドは一時品薄となり、コンビニの棚からも電池などが消えた。寒川のスーパーではさほど品薄にはならなかった。会社員の男性(40代)は揺れを感じた後、1週間分の食料やティッシュなどを購入。帰宅後家族から「買占めだ」と怒られたという。茅ヶ崎のイオンやイトーヨーカドーでは開店前から行列ができた。





 





 3月15日からは計画停電の影響で、相模線は1週間にわたり全線運休。マイカーがなく、タクシーで寒川に通勤したり、自転車で茅ヶ崎まで行ったという人も。電車はその後、茅ヶ崎〜寒川間の折り返し運転を経て、全線復旧までは14日程度を要した。





 





 計画停電があり「真っ暗な時にキャンプ用品が役立った」という声も多い。ある人は「停電区域外で営業するレストランは明るく、相当な賑わいだった」と振り返った





 





 





 





 





【15%節電目標】





 





 





 この年の夏は計画停電を回避するため、町は節電を呼びかけた。学校グラウンドの夜間照明は前年比40%減、体育館照明は20%減などが示されたほか、各家庭向けにはエアコン使用の自粛や、打ち水、すだれ設置も提案。昨年比15%の削減を掲げた。





 





 





【町消防隊員現地へ 耐え難い夜の寒さ】





 





 





 寒川町消防は地震発生の当日から、隊員が緊急援助隊として出発。3度にわたり、15人が宮城県仙台市や福島県南相馬市で救助活動などを行った。震災発生の夜に出発した隊に加わった長友弘明さん(50)と中山貴洋さん(40)に聞いた。





 





 現地への移動中に立ち寄ったサービスエリアのトイレは水が流れず、便器に便や紙が積み重なっていた。仙台市の浸水地域で捜索にあたった。現地は非現実的な光景が広がっていた。民家や畑だった場所は胸まで水に浸かるような場所も。震度5程度の余震もあり、アラームが響く度に退避し、活動に戻るの繰り返し。余震は収まらず常に揺れているようだった。テントに戻り寝袋に入っても強烈な冷気で眠れなかった。寒川町消防ではこの経験を元に、寝袋やテントをより耐寒性のあるものに変更している。





 





 「安全な場所にいち早く避難することが大切」と長友さん。必要な備えは、主に水と食料、眠る場所。ペットボトルの水や缶詰を定期的に回し(食べて)、慣れることが大切。子どものいる家庭では食べられるものを備える必要がある。温かいものが口に入ると、心が和らいだという。トイレは組み立て式の簡易式が欲しいところだ。





 





 





 





 





【心に刻まれた共助】





 





 石巻市の支援のため派遣された町職員・遠藤孝さん(44)は避難所の学校で寝泊まりしながら安否確認などに携わった。避難所はプライバシーがなく精神的疲労が重なる。日々生じる問題は避難者の中から代表をたて、協議で解決した。避難者の心労をどうしたら和らげられるかを考え続け、公助の限界や共助の大切さも感じたという。





 





 木内智彦さん(40)は石巻市役所で被災住宅の修理見積りや業者とのやりとりを担った。大きな余震が続き、現地の市職員は疲れ果て、見ていられないほどだった。住民が臨時職員として行政を助ける風景も。現地の人からこう言われた。「来てくれてありがとう、万が一、寒川で災害があったら助けに行くからね」





 





 





 





 





【ボラバス6回 寒川〜南三陸】





 





 





 





 





 社会福祉協議会では、ボランティアバス(寒川〜宮城県南三陸)を6回にわたり運行、のべ108人が参加した。車中泊で向かい、丸一日活動して寒川に帰るハードスケジュールもあった。現地では大きなテントを使ったボランティアセンターもあり、受け入れ態勢を目の当たりにした。現地で分かった事は「普段からのつながりが、災害時に強く活きる」ということ。





 





 数年後にさむかわ災害ボランティアネットワーク(鈴木純代表)が発足した。震災を忘れないという思いをこめ、駅前広場でキャンドルプロジェクトを開催した。現在も減災のための研修や情報交換を精力的に続ける。寒川町で災害が発生した場合も、ボランティアセンターが発足することになる。社協や町役場、そして同ネットワークが運営を担う予定だ。





 





 





 町職員の千野あずささん(46)は、個人で岩手県山田町に通い、3年にわたり支援を続けた。ボランティアセンターと活動現場との「つなぎ役」を担当し、家屋から家具を出して泥をかき、時には倒れた墓石を直し散乱したお骨を集めた。クリスマスには子どもたちのためにサンタ姿になった。現地を目で見て「何とかしなければ」という思いに突き動かされた。





 





 「今地震があったらどう行動するか、日々備えることが大切」と語る。バッグの中にはホイッスルと小さなライトを入れている。どこかに閉じ込められても居場所を伝えられるように。





 





 





 西善院(宮山)の僧侶・小林隆全さん(34)は石巻市などの寺院でボランティアの拠点づくりなどに尽力。被災地は家々が流され土台だけの所もあった。「困っていることはありませんか」と聞き歩き支援物資を渡した。時には「物が行きわたらないとトラブルの元になる」ケースがあったり支援先で食事を振る舞われた事も忘れられない。「家族が目の前で流された、私なんかが生きていては」と打ち明けられ、言葉を失った。隣近所の絆が非常時に生きる事を痛感したという。





 





 





 





 





 





【浴槽に水ため 今も続ける】





 





 町観光協会の久米順之さん(53)は当時、福島県飯館村で働いていた。揺れは地面の砂利が波打つようだった。急いで自宅で蛇口をひねり、水をためたが、すぐに断水。それから2週間入浴できず、トイレも貴重な水を少しずつ使って流した。「水が出る」という公園にはすぐに人が集まった。順番を待って蛇口をひねったとたん断水した事もあった。今も自宅では毎日浴槽に水をため、ポンプで洗濯機に移して使う。通勤用のかばんは、リュックのように背負えるタイプを使う。帰宅困難になったら、自宅まで歩くつもりだ。





 





 





【コロナ禍で訓練難しくても 一之宮西自治会長に聞く】





 





どんど焼きやそうめん流し。季節の行事に炊出訓練などを組み合わせたり、家族向けの防災備品説明会を開いているのが一之宮西自治会だ。コロナ禍で地域の備えはできるのか。斎藤正信会長(74)に聞いた。





 





 





 





 





▼どのような体験型訓練に注力しているのか、教えてください





 





 震災のあった数ヶ月後、一之宮小学校体育館で「宿泊体験」をした。本当に避難所で眠れるのかを検証するため。炊き出しも積み重ねだと思う。どんな道具でオニギリが何人分、何分間で作れるかが分かる。簡易トイレも使ってもらう。避難先での大変なこと、厳しいことも知っておいた方がいい。断水したトイレに設置して使う「便袋」を、自治会補助で割引販売した事もあった。





 





▼新型コロナで訓練も難しいのでは





 





 災害備品チェックなどは、親子連れも加わり続けている。炊出しなどは、ここ2年ほど開けていない。地域の絆や、意識が低下する可能性は否めない。感染終息を願っている。





 





▼自治会はどこも高齢者が主力に見える、今後大丈夫か





 





 若い世代も含め仲間を増やさねば。そのために、子どもが「参加したくなる」、感覚でも参加できる防災企画が重要だ。例えば飯盒でご飯を炊くのでもいい。子どもが参加したいイベントには保護者がついてくる。子どもを通して大人も変わる。





 





▼携わると大変という感もある





 





 役員だからと強制があってはいけないし、重荷では誰もやりたがらない。理解し合うことが大切。自治会役員だって災害時にはまず自分や家族を守るのが原則、その上での助け合いだ。あと行事が防災目的だらけでも「またかよ」となってしまう。





 





▼どうしたらいいか





 





 一之宮西ではサークルを推奨しており、マージャン、ゴルフ、釣りクラブなどがある。日頃の顔の見える仲間作りが、非常時に活きる。





 





▼震災の記憶は風化しつつあるという指摘もあるが





 





 阪神大震災も含め、被災から学んだ多くのことは、今も生かされている。たまたま近年の大きな災害が、3・11だった。それ以上の災害がいつ起こるかもしれない。





 





 





【使える、備えの資料】





 





住んでいる土地が、元々どんな場所だったのか―町ホームページで公開中の「eマップさむかわ」では旧目久尻川の跡地や河川氾濫で堆積した土地、液状化リスクのある土地などを色分けで閲覧できる。またホームページで印刷できるものに、地震対応やペット対応マニュアル、浸水予測図、記入式の行動予定(マイタイムライン)などもある。かつて町内に配布されたが、改めて印刷して確認するのもお勧めだ。





 





【家族で防災語る機会に】





 





 記者(現編集)は3月11日当時、小田原市で取材していた。揺れでJR線は止まり、駅構内で大勢の帰宅困難者が座り込んでいた。街では高齢者が荷物を抱えて高台の避難所に歩く姿が目に入り、ランドセル姿の子どもたちが逆方向、海方面に下校していたのが印象的だった。避難所では同行避難した犬猫の居場所が決まらず口論も聞こえた。編集室に戻ると隣地の大型のブロック塀は倒壊。鉄筋は入っていなかった。





 寒川には避難所でのペット受入れや新型コロナ対応のガイドラインが存在する。こうしたマニュアルを町民ぐるみで実践・体感したいところだが、なかなか機会が得られない。明後日は寒川町が定めた「家族防災会議の日」。家族だけの話にとどまらず、コロナ終息後に地域の「絆」をどう強めるかも議題に加えてほしい   (A)

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