小田原城三の丸 貴重な堀の遺跡発見 土地所有者は遺跡保護を訴える動きも
戦国時代の小田原城について、不明な部分を解明する手掛かりになる堀の遺跡が先月、市内栄町のマンション新築に伴う調査で発見された。小田原城三の丸北側虎口(城の出入り口)にあたる幸田口門の南側にあり、石垣を伴う江戸時代の堀(1号堀)と、戦国時代の障子堀(2号堀)が見られている。
どちらの堀も城絵図に描かれていない堀で、どのように展開されているか明確ではない。1号堀は当時の城絵図と異なっていたと見られる。また2号堀は戦国時代の小田原城の縄張り(曲輪)の配置を解明する手掛かりになるという。
1号堀は同地点の東側で過去に行われた発掘調査でも発見されており、データを総合すると堀の幅約20mの大きな堀と考えられる。構築時期は16世紀末から17世紀前半と推定される。
2号堀には田の畦のように堀障子と呼ばれる施設が十字に設けられている。堀障子は1列に並ぶ形が主体だった。市文化財課によると、十字に設けられた障子堀は大変珍しく、小田原城八幡古郭西曲輪西堀に次いで2例目。年代は1570年から80年代の北条時代のものと推定される。どちらも今後も調査が続けられるという。
土地の一部を所有する松山清和さんは、この遺跡を残そうと副市長に話を持ち掛けている。しかし市からの返答は無く、松山さんは現在別の形で遺跡を残せないか思案中だという。「現状保存や復元保存など色々提案した。多少なりとも便宜を図ってほしかった。観光客に、少しでも小田原に興味を持ってもらえたのではないか。観光開発に力添えできたのでは」と松山さんはコメントした。