8月に閉幕した関東小学生男・女ソフトボール大会で、市内の選抜選手で構成される「西湘」(高橋貴博監督=人物風土記で紹介)が県代表として優勝した。34回の歴史で、小田原勢が頂点に立ったのは10度目。市内で盛んな少年ソフトボールを取材した。
現在、小田原市内で活動する少年ソフトボールのチーム数は15。少子化のあおりを受けてこのほかに休部扱いが4つ、やっと9人そろうチームも少なくない。
「最近はどこも選手集めが厳しい」と話すのは、小田原や南足柄のチームを束ねる西湘少年ソフトボール連盟副理事長の一寸木将資さん(51)。同連盟では自分が通う小学校区のチームに所属するか、自宅の最寄りで探すのが鉄則。「合同チームにしよう」という声もあったが、「ソフトを通じて地域への誇りや縦のつながりも生まれる」と伝統を崩さない。
原点は子ども会
「おらがチーム」への意識が生まれた原点は、市子ども会連絡協議会主催で1956年に始まったソフトボール大会。学区ごとに子ども会でチームを立ち上げ、ブロック予選を経て城内にあった球場で優勝決定戦が行われていた。
小学校の先生が監督を務めるチームが多く、年1度の大会は地域をあげた一大イベントに。市教育委員会で教育研究所長を務める栁下正祐さん(62)も、町田小学区の子ども会で大会に出場した一人だ。「代々受け継がれるユニフォームはつぎはぎだらけ。でも、選手としてあれを着るのが本当に楽しみだった」と当時を懐かしむ。
久野在住の門松武則さん(72)は大学の4年間、縁があり母校の新玉小のチームで監督を務めることに。コミュニケーションを図ろうとキャンプに連れ出すなど、大学で応援団に所属する傍ら地元では監督業に青春をかけた。それまで機会がなかった子どもたちとの交流に、「かわいいもんだな」と思ったという門松さん。これがきっかけで小学校教諭の道を歩むことになり、教鞭をとった大窪小や芦子小などでも監督を務めた。大会には教職員も応援に駆け付け、「芦子小で優勝した時は、親たちが校長を胴上げしていた」。当時の仲間とはゴルフに出かけるなど今も交流が続く。
現在は父兄らの支えで運営するチーム。地域愛を育みプレーするスタイルは変わらないが、選手不足による衰退が危惧されている。