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足柄 スポーツ

公開日:2019.06.01

郷土の”いだてん”
最終回 渋谷寿光先生と東京五輪

  • マラソン円谷選手のゴールを見守る渋谷先生

  • 昭和30年、金栗四三のお祝い。中央が金栗、左隣が渋谷先生

 わが国はオリンピック招致に成功し、昭和15(1940)年に東京五輪を準備していたが、日中戦争のため政府が開催を返上。戦後ようやく昭和39(1964)年に開催できることになった。

 国際陸上競技規則を研究し、終身審判員第1号だった渋谷先生は、7、8年前から準備の中心となり、審判員養成のため、全国各地をめぐって審判の講習を行った。謝礼は一切受け取らなかった。2年かけて陸上競技審判の規程を周到に準備した。それは4年後のメキシコ五輪に用いられ、今も審判規程の鑑となっている。「審判は神様の代理の仕事だから、絶対に公正無私でなければならない」とよく話した。

 東京五輪の審判団団長、競技役員の最高責任者を務め大会の成功に貢献した。表彰式でメダルを運ぶ係は、経費節減のため、大会役員の娘たちが振袖を着て行うこととし、渋谷先生の次女はマラソンの円谷選手に銅メダルを渡した。

 陸上競技審判の同志で1964年と「スポーツの虫」をかけて「六四(むし)の会」を組織し会長となった。長女が小学生のとき神宮競技場に競技会を見に行き、「勝った人たちにごほうびはないの?」と聞くと、渋谷先生は「ごほうびは品物ではないのだよ」と一生懸命心身を鍛えてその成果を発揮することが喜びなのだと話した。渋谷先生は生涯、営利を求めないアマチュアリズムを貫いた。

 来年の東京五輪を、新国立競技場の空から、渋谷先生と金栗四三はどのように見るだろうか。

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