芥川直筆 湯河原からの葉書 倉敷市で発見 「神奈川吉濱」の消印
「死ぬほどへこたれました」
芥川龍之介が湯河原から投函した葉書が倉敷市で見つかり、20日に公表された。
大正10年に大阪毎日新聞社学芸部長だった薄田泣菫(すすきだ・きゅうきん)に宛てたもので、消印には「神奈川・吉濱」の文字がある。泣菫の遺族が同市に寄贈した資料の中から東京成徳大の庄司達也教授と岡山大の西山康一準教授が発見した。裏面には「湯河原温泉場上全景・View of Yugawara」とあり、旅館や茅葺き屋根など文豪が愛した湯河原温泉が写っている。
芥川龍之介はこの年、大阪毎日新聞の特派員として中国を旅しており、帰国後に療養のため約1ヶ月にわたって湯河原に逗留した。手紙には「腹下しはやつととまりました」「神経衰弱は中々なほりません」「今度と云ふ今度は殆死ぬほどへこたれました」など、疲れきった文がつづられている。因果関係は定かではないが、6年後の昭和2年に芥川は自ら命を絶った。西山準教授は「芥川は湯河原からこうした葉書を10通以上書いており作品を読み解く上でも貴重な資料だ。中国旅行記などの執筆に疲れていたのかもしれない」と話す。
芥川龍之介は度々湯河原を訪れ、中西屋(現在は廃業)を定宿にしていた。芥川作品の愛好者で吉浜村の住人・力石平蔵との親交をきっかけに生まれた「トロッコ」や「一塊の土」「百合」など、湯河原の情景を描いた作品も残している。
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