コンビニで人気「ランチパック担々やきそば風」を監修した担々やきそば会の会長 河本 志雲さん 湯河原町土肥在住 80歳
酸いも甘いもピリ辛も
○…言わずと知れた湯河原町のピリ辛B級グルメ「担々やきそば」。このメニューを出す17店舗で作る会の会長となり、西は姫路、北は青森と、直売イベントを駆け回ってきた。4年前に誕生した時から我が子同然に愛情を注いだメニューが先月、山崎製パンの「ランチパック」として発売されることに。先日「担々」のルーツでもある狸福神社に地元への感謝をこめ、会で由来板を奉納した。「ここのところ良いことばかり。ご利益かなぁ」。
○…東京・目黒生まれで、戦火を逃れるため茨城に疎開、家族で林を伐り開いて畑を耕した。空襲で米軍機の掃射に見舞われた恐怖の記憶を、ほのぼのとした口調でつむぐ。当時は食糧不足でオオバコの葉などを口に入れた。日が暮れると母が「ご飯だよ〜」と呼びに来る。帰ってみると細い芋しかない。「なんで『芋だよ〜』って言わないの?」。思わずぐちをこぼし母を泣かせてしまった。10年前に亡くなる前、自分が作ったシウマイを「おいしい」と食べてくれた事が忘れられない。中学を出るとチャルメラを吹いて屋台を引いた。夜の仕事では屋台をひっくり返すお客さんなど濃い面々に出会ったという。その後経営者の意向で湯河原に移ることになり、独立を果たした。
○…「担々」と同様に情熱を注いでいるのが将棋。出前に行った先で将棋を見たら最後、店に帰れなくなる。過去に高校生を集めて将棋大会を開いたが、用意した優勝カップを手にしたのは自分自身。将棋道場の名を彫った看板が、店先に裏返して置いてあった。「ここに道場破りが来るといけないから」。湯河原の味を求め、遠くは沖縄からお客さんが来る。ただでさえ忙しい店を休んでも「担々」イベントには駆けつける。灼熱の鉄板に立ち向かい、熱中症で搬送されたことも。苦労の連続も「ピリ辛」な思い出話に調理。この御仁はどんな隠し味を持っているのだろう。
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