「箱根宮城野社中」の代表を務める 古屋 光章さん 箱根湯本在住 43歳
箱根の裏方 底力見せたい
〇…早川に200匹の青い鯉のぼりを揚げた「宮城野社中」の代表。元々は震災で亡くなった人々のために宮城県で揚げられていたものを、現地に行って借り受けた。「国際観光地・箱根で揚げればもっと被災地について発信できるかもしれない」と知人と意気投合、仲間の輪を広げ、昨年秋からストーブを焚いて準備した。ただでさえ忙しいメンバーが持ち寄ったのは職業人としての知識と技、貴重な時間。気持ち良さげに泳いでくれた鯉たちを見て「ただ涙が出ました」。
〇…小学生の頃から竹を割り、料理用の梅や松を加工するなど、家業の生花店を手伝った。自宅は店の2階で、学校から帰ると花をかき分けて階段を昇った。湯本中時代にバレーボールで活躍し、スポーツ推薦で法政二高へ。小柄な体をカバーしようとジャンプ力やスパイクで勝負し、88年の京都国体では県選抜の一員として全国優勝した事もある。大学時代も続けたが、膝や腰を痛めてバレーの道は断念せざるをえなかった。
〇…横浜や東京の生花店で修業を重ねた後に24歳で帰郷、家業を継いだ。ホテルでの婚礼用の納品も多く、ブーケ1本にもこだわっている。二人の子が店を継いでくれるかどうかは分からない。「土日が忙しいから、花のせいにされたかも」。運よく休めた日は親子で戦国時代や明治維新の史跡を「攻めにいく」。自宅トイレに好きな歴史本を並べていたところ、いつの間にか我が子が歴女(れきじょ)になっていた。
〇…「宮城野」の由来について話すと「仙台市宮城野がルーツで、たぶん伊達政宗が北条攻めの時に…」と歴史ロマンが溢れだす。湯本や仙石原のように美術館や大型ホテルはないけれど、建築や造園、設備関連企業の看板は多い。「箱根を支える職人の街。力を合わせれば他にないものを生み出せる」。言葉ににじむ裏方の誇り。仕事用に腰にさすメジャーとカッターが、太刀のように見えた。
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