箱根・湯河原・真鶴 人物風土記
公開日:2018.01.26
湯河原町で凧づくり指導を続ける最古参の青少年指導員
小澤 健一さん
湯河原町鍛冶屋在住 52歳
役に立てればどこへでも
○…湯河原の凧づくり教室は30年以上続き、もはや町の伝統行事に近い。子どもたちに手取り足取り工作を教える青少年指導員メンバーの中では、一番の古株だ。あだ名は「凧の先生」。普段の仕事が造園業だから、工作道具の扱いを教えるのは朝飯前。それでも昔に比べて、紐が堅く結べない子や「のりしろ」という言葉を知らない子が増えてきた。自身が小さい頃は子ども向け雑誌の「ふろく」の工作に夢中になったが、スマホも出てきて遊びの形が変わったらしい。だからなおさら教え甲斐がある。
〇…湯河原中、山北高、日本工学院を経てモノづくりの道へ。就職した工場ではレントゲンの大型フイルムを病院内で自動搬送するシステムを手掛けた。自分で部品を発注しては組み立てる、何をやるにも「自力」の職場だった。その後実家に戻り、職人不足だった父の会社を継いだ。青少年指導員になった当時は、電話ボックスに沢山のテレクラ広告が貼られていた頃。若者の飲酒や花火を見つけては声をかけ続けた。「今はスマホがあるからそういう光景は減ったかな。子どものやる事を否定したり、頭ごなしに言ったりはしなかった」と振り返る。家では3人の子のお父さんだ。
〇…東日本大震災のあった2011年。発生から2ヶ月後にパワーショベルをトラックに積み、東北へ向かった。現地では排水溝のヘドロをかき続けた。そこで手にした仲間や住民との絆は、今もかけがえのない宝。何度も通っては被災地の子どもたちを集めたイベントを手伝い、指導員の仲間が作った彦一凧も持ち込んだ。最近は地元湯河原を車で走っていても「災害時の水源はあそこで」と目が泳いでしまう。悩みの種は腱鞘炎と2度のぎっくり腰。節々に爆弾を抱えつつ「役に立てそう」と分かれば車で出発。20時間をかけて熊本の被災地に向かったあの日は「しびれましたよ」。苦労を振り返る顔が何とも涼しげだった。
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