4月の真鶴訪問は、ご静養で須崎御用邸へ向かう途中だった。行政サイドも事前広報を控えなければならない事情があったが、真鶴駅前には歓迎の人垣ができた。小雨のなかE655系と呼ばれる漆色の車両がホームに到着。改札とロータリーの間に小さな段差があり、天皇陛下(当時)は皇后陛下の手をとり、車に乗り換えた。お林は徒歩で雰囲気を味わうように散策され、クスやクロマツの樹齢などを尋ねられたという。偶然遊歩道で出会った観光客は仰天していた。ケープ真鶴ではゆっくりと町民の方へ歩かれ、傘も触れ合いそうな距離に。町民からは「信じられない」「すごい」といった声が続出した。当時町長だった青木健氏は両陛下に、お林がかつて御料林として守られた経緯や、本小松石が江戸城(皇居)の石垣に使われた歴史を説明した。
翌月には全国植樹祭の行程の一部で箱根町へ。湯本から強羅までの箱根登山鉄道が特別仕様になり、両陛下は湯本駅構内の観光客とも会話を交わされた。5月でも肌寒く、車掌だった佐藤知加志さんは空調の調整に細心の注意を払ったという。運転士の高橋秀明さんも車両が出来る限り揺れないよう、普段どおり定刻到着を心がけた。二人とも当時は30代の若手で「緊張しましたが光栄でした」「貴重な経験」と懐かしんだ。仙石原文化センターでの休憩時、寄木細工の湯呑みを手にした皇后陛下は「これはミズキですね」と材料をあてられたという。宮ノ下御用邸など皇室と箱根町とのゆかりも話題にあがった。同席した折橋尚道町議(当時議長)は「階段を降りる際に、天皇陛下が皇后陛下を気遣うように手をとられていたのが印象的」と話す。仙石原では箱根湿生花園を散策し、雅子さまのお印のハマナスがちょうど見ごろを迎えていた。説明に立った元町職員の高橋勉さんは皇后さまが皇太子妃時代にもご案内した事があり「あの時の方ですね」と当時を覚えておられたという。