12月10日から16日は国が定める「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」。北朝鮮は拉致被害者の再調査を行っているが調査結果の報告が延期されるなど、拉致の全容はいまだ見えてこない。
今から約30年前、一人の青年が金沢区から姿を消した。拉致問題との関わりと、家族の願いを取材した。
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「食事のときは思わず、息子は今日何を食べたのだろうかと考えてしまう」――河嶋愛子さん(静岡県浜松市在住・81)は、遠く彼方を見るように話す。
1982年3月21日、関東学院大学工学部を卒業したばかりの河嶋功一さん(当時23)が、洲崎町の下宿を引き払った後に失踪した。
小雨の降る日だった。愛子さんは功一さんの荷物を実家へ運ぶため、夫の故・孝浩さんと共に、静岡県浜松市から車で訪れていた。
荷物は布団やこたつなど大きなものばかり。大人3人が座るスペースはなくなり、功一さんは電車で帰ることになった。「お母さん気を付けて行きなよ、雨が降っているから」。功一さんはそう言って金沢文庫駅方面へと歩きだした。
道路が混雑し、夫婦が浜松市に着いたのは夜中。しかしとっくに到着しているはずの功一さんの姿がない。
夫婦は荷物を下ろし、すぐにまた横浜方面へと車を走らせた。周辺を探しても見つからない。下宿の大家や大学の友人に聞いても「会っていない」。金沢警察署と浜松中央警察署へ捜索願を出したが、手掛かりがつかめず、今なお消息は途絶えたままだ。
見えぬ進展
失踪の前後、功一さんを名乗る人から中学の同級生に「北朝鮮に行く」という電話があった。同級生は功一さんと関わりが深いわけでなく、また当時珍しかった「北朝鮮」という国名が出てきたことから、電話があったことを覚えていた。
家族から調査依頼を受けていた「特定失踪者問題調査会」は、04年に拉致の疑いが濃厚と認定。神奈川・静岡両県警は「拉致の可能性を排除できない事案」として捜査協力を呼びかけている。
高校の同窓会を中心に03年、「河嶋功一君を探す会」が立ち上がった。代表の脊古道大さん(66)は「自分のことを誰も探していないことほど辛いことはない。探し続けることが、彼を孤独にしないと思う」と話す。イベントを重ね、首長や政府関係者と面談。韓国へ訪問しラジオ放送で呼びかけた。しかし手がかりは見えない。「私たちが何を訴えても彼の耳には届かないのか」と目を伏せる。
情報のなさに愛子さんは気持ちの置き場所を見いだせないままだ。北朝鮮の調査結果の報告延期についても「何を信じ、頼っていいのかわからない」と失望を隠さない。「帰ってきたら、ただおかえりなさいと声を掛けたい」と愛子さん。「おかえりと言えるうちに、一日も早く解決してもらいたい」と願いを込める。
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