「自分の手からボールが離れるまで、一球一球責任を持って投げよう」。しきりにそう話すのは日本新薬硬式野球部元監督の田村秀生さん(47)。8月初旬。小田原市、足柄下郡の12中学校のバッテリーを中心に小田原球場で野球教室を開き、今年で4回目を迎えた。
投手、コーチ、監督として21年間に渡り、戦い抜いた硬式野球部を退いたのは今から4年前。現役時代はエースで全国ベスト8、アジア大会日本代表、シドニー五輪アジア地区予選日本代表候補にも選出された。監督に就任すると選手には「行動の指針」と題した自らの考えを示し、「組織と役割を理解する」、「思いやる」、「逆境に強い組織に」、「行動に意味を持たせ、志を持つ」、「今やるべきことを明確に」、「社会の一員として社会貢献すること」を野球を通じ、実践することを説いた。「失敗ばかり。ほんまに苦しかった。選手、監督としてもそう。監督で孤立したときコーチの存在が大きかったな。ありがたみもよく分かった」。現在は小田原総合製剤工場で唯一の野球部出身者として勤務。「野球から離れたその後の人生が大事。それは選手にも伝え続けた。私の行動一つで野球部の責任が問われる。だから一生懸命やる」。その姿勢に一切の揺るぎはない。
セカンドステージでも全力プレー
横浜DeNAベイスターズのレギュラーで活躍する倉本寿彦内野手(26)も教え子の一人。「田村さんの人間力に魅かれて入社を決めた。だいぶ怒られましたよ。野球はもちろん、一社会人として教えられた一つひとつが当てはまることばかり」と日本新薬で過ごした2年間を糧に、2年連続クライマックスシリーズ進出へ向け、突き進む。
「あの時に戻れと言われたらもう戻りたくないけどほんまに楽しかった」。田村さんはセカンドステージを着実に歩み、これからも子どもたちに熱い眼差しを送るつもりだ。
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