12月4日に緑公会堂で単独公演を行う「横浜ビッグバンド」の代表を務める マイケル野村さん(本名 野村 教裕) 長津田町在住 51歳
「今も息づくジャズの息吹感じて」
○…緑区では唯一の社会人ビッグバンドの創始者として17人の団員を率いる。1940年代に時代を風靡したビッグバンドジャズ。その全盛期の面影を追いつつ、今なお刻々と進化をとげるジャズの最前線に挑戦する。「どこにいっても通り一遍の演奏じゃつまらない。我々しか出せない”カラー”がないと。ビッグバンド全盛期には個性的なバンドが幾つもあった」としみじみ語る。
○…愛知県小牧市出身。習い事ブームも手伝い、6歳から電子オルガンを始めた。小学6年生の時に熱心な講師に出会い、様々なビッグバンドの存在を教えてもらった。「先生がテープに録音して色々な演奏を聴かせてくれて。初めは眠くなるなんて思っていたけれど、いつの間にかどっぷりと浸るようになった」。大学進学と同時に上京。学生時代プロのビッグバンドに身を置くまでになったが、就職もあり志半ばで退いてしまった。のちにビッグバンドを結成したのも、この時の”心残り”に寄る部分が大きかったという。
〇…TV業界に身を置いた後、人脈や得意だった音楽アレンジの技術をいかし、当時一大ブームを巻き起こしたRPGゲーム音楽や携帯電話の着信メロディのアレンジを数多く手がけた。現在は音楽スタジオを経営しながら町田市で進学塾も切り盛りする。「やるならとことん」が信条。教壇ではあえて”厳しめ”の姿勢を貫き、学習塾激戦区でも個性派塾としてその存在感を示している。
○…練習でも団員全員に(譜面通りではない)アドリブを求めるストロングスタイル。「緊張感もあるが、そうすることで初めて個性が出てくる」。思い描くのは、80年代にあったフュージョンブームの頃のビッグバンドの姿だ。「個性と個性の融合の先に、本当の楽しさがある。そのためにはもっと腕を磨かないと」。まだ見ぬ感動と、心が震える瞬間を求め、技術と音楽性を磨く日々を過ごす。
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