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港北区 教育

公開日:2020.11.05

地域に支えられ創立70周年
綱島小学校の歴史と現在

  • 写真提供:国際総合企画

  • 校庭整備を手伝う児童ら

  • 現在も綱島にある1983年度卒業生制作のモチーフ

  • 校舎に設置されている70周年記念横断幕

  • 創立70周年記念ロゴは、2019年度に全校児童から募集し、児童、地域の人々の投票で選ばれた。同校のシンボルである屋根付き土俵が施されている。ロゴはフラッグや横断幕など、様々なものに使用されている。

  • 綱島の町に200枚飾られている記念フラッグ

  •    【校章の由来】かつて綱島の名産であった桃の花と葉が全体を支えている。周囲を包む月桂冠の葉は栄光を表し、上部の形は校庭から仰ぎ見た富士山を配置している。

 1951年4月に開校した綱島小学校(徳江武司校長)が、今年創立70周年を迎えた。「共に創り 共に歩み 共に輝く」という学校教育目標を掲げる同校。地域とともに歩んだ70年の歴史を振り返る。



同校は大綱小学校から独立する形で開校した。創立当初の児童数は768人。当時は教室不足で、1年・2年生は現在の川崎信用金庫綱島支店裏にかつて存在した綱島分校、3年・4年生は本校舎、5年・6年生は大綱小学校に登校し、2部制で授業を受けていたという。校庭整備には児童たちも協力したといい、当時の写真には草むしりや石拾いに励む様子が残っている。



 56年には「愛の壱円玉講堂」を建設した。2部制授業時代、雨の中待つ後半の児童や母親を見て忍びなく思った当時のPTA会長・中村忠右衛門氏が、各家庭から自宅で眠る一円玉を集めようと提案。建設費の一部に充てた。60年に開校10周年と体育館落成を記念し、校歌と校旗が制定された。71年は現在の倍以上である1402人が在校していたこともあった。



あのシンボルの歴史



 同校といえば校門そばの2つのタイムカプセルが印象的。三角型の「21世紀への前進」は75年に設置され、当時NHKニュースや新聞で報道された。2000年には卒業生や父母によって無事開扉され、その様子もメディアに取り上げられた。小屋型の「夢・未来〜20世紀からの贈り物〜」は、00〜05年の卒業生たちの思い出がしまわれており、今年12月に開扉予定という。



 同校を象徴するもう一つのシンボル、屋根付き土俵は1981年に完成した。地域からの寄付により建設され、例年恒例の相撲大会が開催されている(直近3年は、台風や新型コロナで中止)。



 さらに欠かせないのはイトスギ。赤十字思想誕生100年を記念して同団体から送られた種子を、校庭に植えたのが初代のもの。59年には、その名を冠した広報紙「いとすぎ」の第1号が創刊された。初代イトスギは枯れており、2代目は元PTA会長の池谷光朗氏が寄贈したもの。イトスギは校歌の歌詞に入っているほか、今回の70周年記念誌の表紙にも使われている。



生まれ変わった施設



 昨年3月、体育館、プール、通級指導教室の建て替え工事が完了。80年に建てられた体育館などを解体し、新たに4階建ての建物に集約した。校庭の半分を使い、遊具も移転するほどの大規模な工事だった。令和の幕開けとともに、施設も生まれ変わった。

 

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