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港北区 社会

公開日:2025.08.14

今を戦前にしないために
戦後80年 それぞれの「声」

 1945年8月の終戦から今年で80年。戦争の記憶を後世につなげるため、何より今を「新しい戦前」にしないため、私たちにできることは何だろうか――。

 タウンニュース社はそんな思いを胸に、特別企画「戦後80年〜今を新しい戦前にしないために〜」を展開し、特設サイトに取材記事を掲載している。同企画では、戦争の惨状や戦時下の生活を語る当事者の貴重な証言を多角的に紹介。地域ごとの空襲被害や、被ばく体験者、戦時下を生き抜いた人々の肉声に焦点を当てる。この節目の年に区内在住・在勤の9人の方々に取材した体験談や平和への取組みについても掲載。ここではそれぞれ取材記事のタイトルと紹介文を掲載する(順不同・年齢は取材時)。

日誌が語る惨禍 平井誠二さん(68)

 横浜大空襲から80年。大倉精神文化研究所に残された日誌には、大倉山周辺の被災状況が記されていた。同研究所所長の平井誠二さんは、戦後という区切りではなく、過去の積み重ねとして戦争を捉え、将来を担う人たちと考えることの重要性を訴える。

医学生が見た地獄絵図 椎橋忠男さん(98)

 横浜大空襲を医学生として経験した椎橋忠男さんの証言。多くの火傷患者を前に十分な治療ができない「地獄絵図」のような状況を目の当たりにし、平和の尊さを深く実感した体験を語る。

「まだやるつもりか」 吉原秀夫さん(95)

 大倉山で戦争を体験した吉原秀夫さんが、自宅への銃撃や横浜大空襲を目の当たりにした記憶を証言。悲惨な体験を語り継ぎ、戦争の愚かさと平和の尊さを強く訴える。

京都から見た、戦争の記憶 藤本志壽子さん(93)

 京都で戦時下を過ごした藤本志壽子さん。監視の目に怯え、食糧製造に動員された日々を語る。義弟の遺書を胸に、戦争の記憶を伝えることで、亡くなった人々の声となりたいと願う。

「横浜が見た戦争」演じる 五大路子さん(72)

 劇団「横浜夢座」の座長を務める女優の五大路子さん。戦後80年平和祈念三部作の上演を通じて、戦争の悲惨さを伝え、戦争がもたらした個人の苦悩や、生きることの大切さを訴え続けている。

95歳 大工が見た戦禍 武田信治さん(95)

 大工の武田信治さんが語る戦時中の体験。大工になる夢を断たれ軍需工場で働いた日々、母親の実家での被災、そして横浜大空襲で目の当たりにした惨状。戦争は残酷で悲惨なものだと語り継ぐ。

戦争は「ありのまま」に語れ 栗原茂夫さん(90)

 サイパン島で開拓移民の子として終戦を迎えた栗原茂夫さん。激しい空襲と飢餓で父と伯父、二人の弟を失った過酷な体験を「ありのまま」に伝え、事実を後世に語り継ぐことの重要性を訴える。

綱島に焼夷弾の雨降る 飯田助知さん(87)

 綱島に住んでいた飯田助知さんは、小学2年生の時に焼夷弾の雨を体験。土蔵が延焼を防いだものの、近隣の家は燃えた。教育者として「教育が戦争に協力していたことへの反省」を語る。

体験者の「リアル」届け戦争の記憶を継承 木村光義さん(79)

 元小学校校長である木村光義さんが立ち上げた「戦争体験を語る会」。戦争を知らない世代に悲惨な記憶を語り継ぐ活動を行っている。しかし、語り部が減少する中、若い世代にどのように伝えていくかが課題だと語る。

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