伯父の手紙 伝える戦争
兄弟で平和呼び掛け
「戦争の悲惨さ、愚かさを、戦後80年の節目に見つめ直してほしい」。平塚市河内在住の岩崎稔さん(81)は、1937年に厚木市戸田(当時は相川村)から出征し、中国...(続きを読む)
2025年10月17日号

1945年8月の終戦の日から今年で80年…。戦争の記憶を後世につなげるため、何より今を新しい戦前にしないため、私たちは何ができるのか――。
タウンニュース社は、そんな思いを胸に、様々な切り口で戦争に関わる取材をしています。
兄弟で平和呼び掛け
「戦争の悲惨さ、愚かさを、戦後80年の節目に見つめ直してほしい」。平塚市河内在住の岩崎稔さん(81)は、1937年に厚木市戸田(当時は相川村)から出征し、中国...(続きを読む)
2025年10月17日号
境信子さんが紙芝居制作
小田原市在住の境信子さん(71)が、亡くなった母・石川道子さんの戦争体験を紙芝居にした。動画サイトのユーチューブで、読み聞かせ動画を配信している。...(続きを読む)
2025年10月11日号
太平洋戦争激戦地で平和祈る
太平洋戦争時は日本の占領地で、日米激戦地にもなったパラオ共和国。平和と鎮魂、友好の願いを込め、11年前から現地で桜を生け続けてきたのが藤沢在住の華道家、横井紅...(続きを読む)
2025年9月19日号
平和ポスターで最優秀賞 増田貴臣さん
世界各地で戦争が続き、核兵器使用の危機感も高まっている中、地域の中学生は何を考えているのか。相模原市が毎年実施している平和ポスターコンテストで、昨年度最優秀賞...(続きを読む)
2025年9月18日号
平和大使・青栁さん「今しかない」
核兵器廃絶や平和な世界の実現を目指して活動する神奈川県内の高校生が集めた署名が9月2日、スイス・ジュネーブの国連軍縮本部に届けられた。代表として署名を届けた「...(続きを読む)
2025年9月15日号
戦後80年 平和へのアクション 厚木市山際 潮田春男さん(76)
後世に伝える使命
「父からもっと話を聞いておけばよかった。それが心残り」 2017年から厚木市遺族会の会長を務める潮田春男さん(76)は、そう呟く。...(続きを読む)
2025年8月22日号
新日本婦人の会栄支部
27日から栄公会堂で展示
核廃絶などを訴える新日本婦人の会栄支部は8月27日から29日まで、栄公会堂で「原爆の絵展」を開催する。広島県の基町高校美術部の生徒が被ばく体験者から聞い...(続きを読む)
2025年8月21日号
湘南台在住 加藤雄飛さん(19)
藤沢市の「核兵器廃絶平和都市宣言」に基づき、次世代を担う青少年が広島・長崎に派遣される「平和学習派遣プログラム」。湘南台在住の加藤雄飛さん(19・大学2年生)...(続きを読む)
2025年8月15日号
善行在住 柳川たづ江さん(70)
「ふくちゃん、戦車に突っ込む人を誰か選んで」。「えー」。軽快にやり取りするのは、善行在住の柳川たづ江さんと相方のふくちゃん。腹話術で、日本兵だった柳川さんの父...(続きを読む)
2025年8月15日号
三木忠直の次女、棚沢直子氏
平和希求の思い紙芝居で
太平洋戦争中、横須賀市浦郷町にあった「海軍航空技術廠」では、陸上爆撃機「銀河」や特攻兵器「桜花」などが開発された。これらの設計・開発にあたった海軍技術少佐の三...(続きを読む)
2025年8月15日号
ルソン島生き抜いた民間人
「若い世代に読んでほしい」
中区在住の中村蓉子さん(38)は、大叔母にあたる岡田梅子さんが太平洋戦争末期にフィリピンのルソン島で過ごした日々を記した自費出版本「春菊よ谷のせせらぎよありが...(続きを読む)
2025年8月14日号
28日から戦没者遺品展
戦後80年となる今年、結成70年の節目を迎える八王子市遺族会。戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えるため、「戦没者遺品展示会」を6年ぶりに開催する。8月28日...(続きを読む)
2025年8月14日号
湘北退職女性教職員の会
「教え子を再び戦場に送らないために」--。退職した女性教職員で構成される「湘北退職女性教職員の会」の平和小委員会は、相模原市内の小中学生に向けて戦争を語り継ぐ...(続きを読む)
2025年8月7日号
鎌倉市在住 大津定博さん
「私は、被爆2世です」--。そう静かに話すのは、原爆犠牲者の慰霊の場になっている「大船観音寺」(鎌倉市岡本1の5の3)の責任役員を務める、大津定博さん(62・...(続きを読む)
2025年8月1日号
浦賀引揚船 コレラの悲劇語り継ぐ
「祖国の土を踏める」--。一体、どれほどの希望だっただろうか。終戦を告げる玉音放送から数カ月。遠い異国の戦地から故郷への帰還を夢見て船に乗った人々を待っていた...(続きを読む)
2025年8月1日号
相模原地方自治研究センター
1972年、ベトナム戦争中に在日米陸軍相模総合補給廠から戦車を戦地に送る搬出を市民で阻止した「戦車闘争」。相模原地方自治研究センター(武田秀雄理事長)は、この...(続きを読む)
2025年7月31日号
父の思い、一冊に
父親の「声なき声」を一冊の冊子にまとめたのは、込谷れい子さん(75・金森在住)。20年間にわたる母の介護の最中に偶然見つけた父・喜幸さんの戦記。「これは私の責...(続きを読む)
2025年7月31日号
戦没者慰霊碑を守る「明照会」
腰越にある霊光無盡(むじん)塔(腰越戦没者慰霊碑)で定期的な清掃を行うなど戦争の記憶を伝え続ける「明照会」(坂巻克美会長)が8月13日(水)、近年中止が続いて...(続きを読む)
2025年7月18日号
PHAP(パレスチナのハートアートプロジェクト)代表 上條陽子さん
戦禍を憂い、一刻も早い終戦を願いながら『魔の山』を制作する、現代美術家の上條陽子さん(88・南区在住)。パレスチナ支援の画家と呼ばれる彼女の思いとは―。...(続きを読む)
2025年7月17日号
生きている大切さ伝える
「横浜から発信を!」を掲げ、横浜を題材にした作品を演じる「横浜夢座」は、今年1年を通して「横浜夢座 戦後80年平和祈念三部作」を上演している。座長は港北区在住...(続きを読む)
2025年6月26日号
戦後80年 平和への道
小机町在住 木村光義さん(79) 「戦時中のことを語る人が少なくなってきた中、戦争の悲惨さを、戦争を知らない世代に語り継い...(続きを読む)
2025年5月22日号
相澤さんの「聞書ノート」から
今年は1945年8月15日の終戦記念日から数えて満80年を迎える。そんな中、アジア太平洋戦争を経験した人は90歳代の高齢者となり、年々、戦時中の体験談を聞くの...(続きを読む)
2025年5月8日号
戦後80年 戦禍の記憶 特別編 元教員の渡辺さんに聞く
登戸研究所資料館15年
明治大学平和教育登戸研究所資料館(多摩区)は2010年の開館から今年で15周年を迎えた。秘密戦研究施設「旧日本陸軍登戸研究所」の歴史を伝える貴重な施設だが、そ...(続きを読む)
2025年4月25日号
元教員の渡辺さんに聞く
登戸研究所資料館15年
今年で15周年を迎えた明治大学平和教育登戸研究所資料館(多摩区)は、太平洋戦争における日本の加害の史実を伝える貴重な施設だ。1980年代にこの史実を掘り起こし...(続きを読む)
2025年4月16日号
多摩市永山在住 平原国男さん
山に囲まれた盆地の地方都市・山梨県甲府市生まれの平原国男さん(90)が戦争の恐怖を体験したのは、1945年7月6日の深夜に発生した空襲だった。平原さんに...(続きを読む)
2025年11月6日号
戦後80年 戦禍の記憶【13】 高津区溝口在住 鈴木穆さん(88)
「弾丸は小川に突き刺さった」
未だに時折、悪夢を見るほど、太平洋戦争の記憶は深く脳裏に刻まれている。 1943年に高津国民学校(現・川崎市立高津小学校)に入学。戦局...(続きを読む)
2025年9月26日号
川口町在住 増田禎司さん
「忘れられない出来事がある。あれは、八王子空襲があった後、8月10日くらいのことだった」 そう話すのは、当時第一国民学校(現在の...(続きを読む)
2025年9月25日号
厚木市厚木町 清水悦子さん(90)
「当時の記憶、未だに消えず」
1945年7月4日未明、香川県高松市を襲った大規模な空襲。市街地の約8割が焼失し、1359人が命を落とした。その災禍の中を生き延びたのが、厚木町に住む清水悦子...(続きを読む)
2025年9月19日号
戦後80年 戦禍の記憶【12】 中原区小杉御殿町在住 小林美年子さん(93)
近衛兵の従兄も「負ける」
今もなお聞きたくない歌がある。記憶の奥底にしまい込んだままの歌の名は『海ゆかば』。天皇への忠誠心と死を恐れない覚悟を表した歌詞……。太平洋戦争末期、かっぽう着...(続きを読む)
2025年9月19日号
二宮町在住 西山伊三郎さん
二宮町二宮在住の西山伊三郎さん(95)は、生まれ育った二宮町から遠く離れた台湾の地で戦争を体験。15歳にして、海軍や本土からの情報を台湾の司令部に電報などを使...(続きを読む)
2025年9月19日号
戦後80年 語り継ぐ記憶
あざみ野在住 吉田慶一さん
あざみ野在住の吉田慶一さん(104)は、太平洋戦争で10万人以上のが学生が徴兵されたといわれる学徒出陣を経験した一人。愛国心を謳う周囲の大人たちの中、大学の恩...(続きを読む)
2025年9月18日号
平塚市南金目在住 中村さん
平塚市南金目在住の中村寛志さん(82)は、北朝鮮の港町・興南で生まれた。「カレイやタラがよく獲れる地域で、今でも大好物。5歳の頃に日本に引き揚げてきましたが、...(続きを読む)
2025年9月12日号
戦後80年 戦禍の記憶【11】 麻生区王禅寺西在住 曽武川(そぶかわ) 重春さん(94)
まひした恐怖心
東京都文京区、東京大学赤門の並びの長屋で、5人きょうだいの末っ子として生まれた。10歳のときに真珠湾攻撃が起き、開戦。「いつも日本が勝っていると聞いていたから...(続きを読む)
2025年9月12日号
三ッ沢下町在住 関公子さん(84)
昭和16年、関公子さんは満州で生まれた。日本の敗戦を告げた玉音放送の記憶はない。終戦を迎えたのは、まだ4歳の時だった。しかし、母が着物に使う腰紐にびっしりとお...(続きを読む)
2025年9月11日号
戦後80年 戦禍の記憶【10】川崎区在住 石 日分(ソクイルブン)さん(94)
「ヘイトが戦争招く」
「引っ込み思案で、周りの友だちより10センチほど背が高いのが嫌だった。朝鮮人ということにも劣等感を抱いていた」と子ども時代を振り返る。...(続きを読む)
2025年9月5日号
茅ヶ崎市在住 中野敬子さん
1945年3月10日の東京大空襲では、アメリカ軍の約300機のB―29爆撃機が来襲し、約10万人の命を奪った。当時5歳でその光景を目の当たりにした茅ヶ崎市在住...(続きを読む)
2025年9月5日号
下小山田町在住 宮下靖夫さん
下小山田町に暮らす宮下靖夫さん(96)は、少年時代に戦争を経験した一人だ。前線の兵士を励まし、労うために戦地へ送った自身が書いた手紙(慰問文)のことなど、戦時...(続きを読む)
2025年9月4日号
厚木市鳶尾 松尾守之さん(86)
「恐怖を感じる暇もなかった」
「体験者が少なくなり、そろそろ私の出番かと思って」。1938年、東京都目黒区に生まれた。父の転勤で深川区(現江東区)に移り住んだ3歳半の時、初めての空襲を経験...(続きを読む)
2025年8月29日号
田中忠良さんの記憶
131機のアメリカ軍B-29爆撃機による甲府空襲。山梨県甲府市愛宕町に住んでいた田中忠良さん(90・秦野市堀川)は、家の両側から迫る炎から逃れ避難した愛宕山で...(続きを読む)
2025年8月29日号
多摩市愛宕在住 長谷川千代子さん
愛宕在住の長谷川千代子さん(90)は、NHK朝の連続テレビ小説などで描かれる太平洋戦争や終戦時のことを見るたび、幼い時の記憶がよみがえる。...(続きを読む)
2025年8月28日号
相模原原爆被災者の会
広島、長崎への原爆投下から今年で80年。生存する被爆者の数が10万人を下回り、平均年齢は86歳を超える中、「相模原原爆被災者の会(相友会)」は設立から50年を...(続きを読む)
2025年8月28日号
戦後80年 戦禍の記憶 厚木市寿町 米山幸子さん(87)
東京大空襲を生き延びて
1937年、日本橋人形町で5人きょうだいの長女として生まれた。7歳の時に町田の旅館に学童疎開。「母が一度お弁当を持ってきてくれたんだけど、目を離した隙に誰かに...(続きを読む)
2025年8月22日号
寒川町在住 石原美枝子さん
空襲が激化した第二次世界大戦末期、国民学校(小学校)に通う3年生から6年生の児童らの多くは親元を離れ、空襲の被害が少ない場所に避難していた。寒川町在住の石原美...(続きを読む)
2025年8月22日号
黒岩 重雄さん(泉区)
泉区ゆめが丘在住の黒岩重雄さん(87)は、長野県の農家に生まれ、戦時下を過ごした。 爆撃や焼夷弾などの被害を受けることはなかったものの...(続きを読む)
2025年8月21日号
相武台在住 増本敏康さん
「戦後生まれで戦争は知らない。ただ、両親は戦後台湾から引き揚げた後も向こうの人と交流を続けていたことを伝えたい」―。 相武台在住の増本...(続きを読む)
2025年8月21日号
座談会「戦争体験と当時の暮らし」
終戦から80年が経った今、戦中戦後を生きてきた人たちは過去をどう捉え、未来に何を思うのか。千代田にある「社会福祉法人悠朋会千代田7丁目センター」でのつながりを...(続きを読む)
2025年8月21日号
海老名市国分寺台 辻里子さん(95)
一夜の空襲が、自宅も街も焼き尽くした。終戦の5カ月前、米軍が無数の焼夷弾(しょういだん)を落とした東京大空襲である。 里子さんは中学2...(続きを読む)
2025年8月15日号
綾瀬市落合北 加藤貞男さん(89)
厚木海軍飛行場のある「綾瀬」で育った加藤さんは戦時中、綾瀬国民学校本校に通っていた。小学3年生の時、授業中に後ろの方から急に「バーン」という大きな爆発音を聞い...(続きを読む)
2025年8月15日号
座間市入谷東 弓削薫さん(85)
「ピカッと光って、その一瞬しかわからないけど、とっさにお母さんが覆いかぶさってくれて」 広島に原爆が投下された1945年8月6日、当時...(続きを読む)
2025年8月15日号
海老名市勝瀬 豊敦子さん(84)
自宅は長崎市の爆心地から約3・3Kmの高台にあった。1945年8月9日午前11時2分、真夏の太陽の下縁側で遊んでいた敦子さんは「B29が来たぞ」と知らされ、ち...(続きを読む)
2025年8月15日号
善行在住 野中美久さん(91)・妙子さん(89)
善行に住む野中美久さん(91)・妙子さん(89)夫妻は子どもの頃、湯河原と小田原でそれぞれ空襲を経験した。心臓が凍り付くような体験を経て、たどり着いた答えはひ...(続きを読む)
2025年8月15日号
天神町在住 郷勝哉さん(94)
天神町在住の郷勝哉さん(94)は、湘南中学校(現・湘南高校)の生徒として勤労動員された日々を当時の写真とともに語った。 学徒動員が本格...(続きを読む)
2025年8月15日号
片瀬在住 芝実生子さん(96)
飢え、寒さ、緊迫、不安――。曖昧にかすんでしまった断片的な記憶。ただ、ふとした瞬間に生々しく去来する。 芝実生子さんは1929年、片瀬...(続きを読む)
2025年8月15日号
深見東 高橋則文さん(92)
深見東に住む高橋則文さん(92)が、小学3年生だった1941年に、太平洋戦争が始まった。 44年11月、B29の偵察機を目撃した。初め...(続きを読む)
2025年8月15日号
上草柳 石川公弘さん(91)
津久井郡生まれの石川公弘さん(91)は、教師だった父の仕事のため、9歳の時に家族6人で大和にやってきた。現在も上草柳に暮らす。 太平洋...(続きを読む)
2025年8月15日号
厚木市岡田 岸本吉男さん(89)
両親と弟は自宅で犠牲に
「爆弾や焼夷弾(しょういだん)は、まるで雨あられのように降り注いできました」。静かにそう語るのは厚木市岡田に住む岸本吉男さん(89)。10歳だった終戦時、故郷...(続きを読む)
2025年8月15日号
厚木市小野 三橋道明さん(91)小夜子さん(89)
校舎は兵隊が使い、寺で学んだ
道明さんは小学6年生の夏に玉音放送を聞いた。近所の家に集まった大勢のなかでラジオの放送に耳を傾けた。「泣き伏す人の声と、喜ぶ人の声が入り混じっていた」と、当時...(続きを読む)
2025年8月15日号
弟と聞いた玉音放送に安堵
終戦を告げる玉音放送を、弟と2人で聞いた日のことを「ああ、これで戦争に行かなくてよくなった」と振り返り、これまでの緊張が一気に解けたと語る。...(続きを読む)
2025年8月15日号
厚木市森の里 石山 重次さん(95)
「穏やかだった」引揚までの2年
戦時中の移民政策で樺太(現サハリン)に移住した両親のもと、1930年に生まれた。家はニシン漁の網元。「日本人のほかにアイヌなど、さまざまな人種が働いている環境...(続きを読む)
2025年8月15日号
厚木市下荻野 高足登美子さん(85)貞治さん(87)
恐怖の体験、今も思い出す
戦後80年の節目を前に、厚木市下荻野に住む高足登美子さん(85)と貞治さん(87)夫妻が、幼少期の戦争体験を語った。 登美子さんの脳裏...(続きを読む)
2025年8月15日号
小津組カメラマン 兼松熈太郎さん
戦時下、国策として戦意高揚作品が数多く作られた。当時、鎌倉市に大船撮影所を構えていた松竹株式会社もその一つ。同社と、小津安二郎監督の撮影チーム「小津組」カメラ...(続きを読む)
2025年8月15日号
寒川町在住 佐藤博さん(91)
「あの時の記憶を伝えなくては、お迎えが来てもいけないよ」。戦争末期、多くの市民が犠牲になった無差別空襲。寒川町在住の佐藤博さん(91)は東京、横浜、平塚の空襲を...(続きを読む)
2025年8月15日号
茅ヶ崎市柳島海岸在住 佐藤京子さん(93)
茅ヶ崎市柳島海岸在住の佐藤京子さん(93)は、戦争のため数奇な運命を辿ることになった。 札幌で生まれ、14歳まで当時日本の統治下にあっ...(続きを読む)
2025年8月15日号
大磯町国府新宿在住 簑島さん
大磯町国府新宿在住の簑島敏明さん(90)は、国府村国民学校4年生の時に終戦を迎えた。今でも印象に残っているのは、二宮町の機銃掃射の音と、平塚空襲の夜の赤い空。...(続きを読む)
2025年8月15日号
二宮町山西在住 高橋さん
二宮町山西在住の高橋テル子さん(87)は、生まれ育った須賀で平塚空襲を体験した1945年当時、第二国民学校の1年生。5人きょうだいの末っ子だったテル子さんは、...(続きを読む)
2025年8月15日号
平塚市宮の前在住 伊藤さん
平塚市宮の前出身・在住の伊藤由紀子さん(90)は、第一国民学校(現崇善小)5年生の時に平塚空襲を経験した。 1945年7月16日夜。「...(続きを読む)
2025年8月15日号
続・武勝美さんの記憶
終戦から今年で80年。寺山で生まれ育った武勝美さん(88歳)から、戦下の市民の暮らしについて聞くことができた。 当時、国民学校(現在の...(続きを読む)
2025年8月15日号
馬場在住 古木 嘉夫さん
「千葉の鉄道連隊に入隊することが決まっていたんだよ、終戦の5日後に」。そう話すのは馬場在住の古木嘉夫さん(100)。鉄道連隊とは、戦地で鉄道の敷設や補修、運転...(続きを読む)
2025年8月14日号
名古屋市出身 野田眞子さん
「私ね、小学校の卒業証書もないの」--。相模原市内の特別養護老人ホームに暮らす野田眞子さん(92)は、1932年(昭和7年)、現在の名古屋市千種区今池に生まれ...(続きを読む)
2025年8月14日号
町田在住 元少年兵の記憶
「もう負けることは分かっていた」。1945年、現在の厚木基地周辺の航空隊・兵舎にいた15歳の少年兵は、日々激しくなる空襲と、沈黙する日本の戦闘機に、国の行く末...(続きを読む)
2025年8月14日号
新子安在住 荒井咲枝さん(88)
新子安在住の荒井咲枝さん(88)の手元には、10年以上前からため続けた手書きのメモが何枚もある。 「この経験が世に出ることで、私の人生...(続きを読む)
2025年8月14日号
白楽在住 花井秀子さん(86)
1945年5月29日、横浜大空襲。白楽に住む花井秀子さん(86)は、当時6歳だった。一家の主であった父は工場で働き、母は妊娠中のため埼玉へ、兄姉たちはそれぞれ...(続きを読む)
2025年8月14日号
六角橋在住 高矢崇さん(92)
約50年前から六角橋に住む高矢崇さん(92)は戦中、戦後に体験した数々の記憶を呼び起こし語った。長野、宮城へ疎開...(続きを読む)
2025年8月14日号
神之木町在住 緑和子さん(95)
「学校から自宅から、横浜中が全部燃えちゃいましたよ」。1945年5月29日の朝に起こった横浜大空襲。神之木町在住の緑和子さん(95)は当時15歳の女学生。伊勢...(続きを読む)
2025年8月14日号
戦後80年 語り継ぐ記憶
青葉区在住 Sさん
「東京大空襲の新聞記事や写真、全部取ってあるの」とSさん(93)。空襲で焼けたエリアが赤や黄に色付けされた、隅田川周辺の地図をテーブルに広げる。当時の自宅は言...(続きを読む)
2025年8月14日号
戦後80年 語り継ぐ記憶
あざみ野在住 荻須瑠子(るりこ)さん
現在92歳の荻須瑠子さん(あざみ野在住)は1932年9月に熊本県で生まれた。太平洋戦争が始まったのは小学3年生のとき。生誕地の熊本から離れ、東京で暮らし始めて...(続きを読む)
2025年8月14日号
戦後80年 語り継ぐ記憶
藤が丘在住 川端長夫さん
藤が丘在住の川端長夫さんは、岩手県釜石市出身の現在89歳。戦争が始まる直前は国民学校に通う小学生だった。 川端さんの住む釜石市には日本...(続きを読む)
2025年8月14日号
78年ぶりの再会
足立区出身の石井郁子さん(90)は、小学3年生だった1944(昭和19)年から翌年の終戦まで集団疎開で長野県の善光寺で暮らした。尊勝院という宿坊で寝起きし、近...(続きを読む)
2025年8月14日号
旧満州からの引揚げ船
終戦を旧満州で迎え、引揚げ船「興安丸」に乗って帰国を果たした町田典子さん。戦争のつらい記憶は数多いが、10歳の時に1カ月以上を過ごした引揚げ船での悲惨さは、忘...(続きを読む)
2025年8月14日号
疎開先での戦争体験
東浅川町在住の立川冨美代さん(93)は兵庫県神戸市で生まれ育った。10歳の時に太平洋戦争が始まり、商船に勤めていた父は海軍の軍属となり香港へ赴任。戦争の長期化...(続きを読む)
2025年8月14日号
旭区の正純さん・淑子さん兄妹
旭区今宿南町在住の宮崎正純(まさよし)さん(88)と妹の粕谷(旧姓・宮崎)淑子(としこ)さん(85)は現在の東京都墨田区で生まれ、父母と4人で暮らしていた。1...(続きを読む)
2025年8月14日号
満州で暮らした鶴貝さん
「敗戦の日、中国人が片足のない日本の傷病兵を何度も地面に叩きつけ、体じゅうにレンガをぶつけていた」――。 泉区在住の鶴貝敬司さん(91...(続きを読む)
2025年8月14日号
栄区在住 加藤規子さん
1934年、日本の租借地だった大連で生まれた加藤規子さん(90歳)は、安東と吉林という当時の満州国にあたる地域で幼少期を過ごす。父は現地で警察官として働き、加...(続きを読む)
2025年8月14日号
港南区在住 佐藤博隆さん
1945年5月29日、佐藤さん(当時7歳)が住んでいた中区松影町はよく晴れていたという。午前8時半過ぎ、西の空から「ゴー」という音と共にカラスの大群が向かって...(続きを読む)
2025年8月14日号
川和町・平林功男さん
1934年生まれの平林功男さんは、東京都大田区出身で現在90歳。7人きょうだいの3男。父は軍関係の仕事をしていおり、「軍功の『功』の字を付けたので、軍人にした...(続きを読む)
2025年8月14日号
新栄町・馬場史子さん
新栄町の馬場史子さんは、1941年生まれの83歳。大阪・都島区で長女として生まれた。一家はその後、戦火が激しくなり、布施市(現在の東大阪市)に転居。45年1月...(続きを読む)
2025年8月14日号
葉山町在住 長谷川忠信さん
葉山町在住の長谷川忠信さん(88)。戦時中は横須賀市の逸見在住で、当時、父親の言いつけもあり、小学校入学から毎日日記をつけていた。1945年の終戦に向かう記述...(続きを読む)
2025年8月8日号
茅ヶ崎市東海岸南 箕輪一郎さん(92)
今年は終戦から80年の節目。タウンニュース茅ヶ崎・寒川編集室では地域に住む人たちの戦争体験や戦禍を語り継ぐ活動をシリーズで紹介する。今回は横浜大空襲を経験した...(続きを読む)
2025年8月8日号
橋本在住 原照司さん(88)
「1日も早く世界の戦争を終わらせ、平和に暮らせる世の中になってほしいね」。 そう話すのは橋本在住の原照司さん(88)。原さんは1...(続きを読む)
2025年8月7日号
八王子市鹿島在住 金木節子さん
金木節子さん(87)は、幼いころ、台東区本所の厩橋近くに住んでいた。漆職人だった父は35歳で亡くなり、母親一人で、一つ上の兄と妹や弟、金木さんの4人を育...(続きを読む)
2025年8月7日号
二宮町川匂在住 秋山さん
二宮町川匂の西光寺の住職・秋山光洋さん(92)は、旧制中学1年の時に終戦を迎えた。戦時中、本堂には陸軍の兵隊30人ほどが駐屯。早くに父を病気で亡くし、当時住職...(続きを読む)
2025年8月1日号
横浜から約2400人
1945年8月の太平洋戦争終戦から今年で80年-。戦争の記憶を後世に伝え、何より今を戦前にしないため、本紙では戦時中の証言や未来への思いを数回にわたって...(続きを読む)
2025年7月25日号
多摩市豊ヶ丘在住 田端道子さん
豊ヶ丘在住の田端道子さん(84)は戦禍の激しかった記憶はおぼろげだが、熊本県人吉市で幼少期を過ごした戦後間もないころの記憶ははっきりと残っている。...(続きを読む)
2025年7月24日号
戦後80年 語り継ぐ記憶
歴史の会の座談会で4人が
鶴見歴史の会主催の座談会「いま語り合う 私の戦争体験」がこのほど、鶴見中央コミュニティハウスで開かれた。 戦後80年を機に、区内在住の...(続きを読む)
2025年7月24日号
相模原市南区在住 野口悦子さん
「幼かったけれど、あの時のことはよく覚えている」。そう話すのは南区在住の野口悦子さん(86)。あの時とは1945年5月29日に起きた横浜大空襲だ。...(続きを読む)
2025年7月24日号
港南区在住 佐藤美津紀さん
1945年8月9日午前11時2分、当時16歳の佐藤美津紀さん(港南区在住/96)は長崎の爆心地から3Kmの場所で被ばくした。「勇気がなくて積極的に話してこなか...(続きを読む)
2025年7月24日号
戦後80年 語り継ぐ記憶
大倉山在住 吉原秀夫さん
「これを見てほしい」。そう言って桐箪笥の一部を見せる大倉山在住の吉原秀夫さん(95)。横浜大空襲よりも数カ月前、低空飛行の戦闘機から放たれた銃弾が、大倉...(続きを読む)
2025年7月24日号
戦後80年 戦禍の記憶【8】 高津区北見方在住 吉田 豊さん(92)
「日本は負ける」が言えず
「アメリカは技術も文化も進んだすごい国。そんな国に戦争を仕掛けても、日本が勝つわけなかった」--。終戦後、12歳の時に見た教師の変節ぶりに、開いた口が塞がらな...(続きを読む)
2025年7月18日号
戦後80年 戦禍の記憶【7】 麻生区白山在住 大橋健一さん(96)
3度の窮地 残った命
「典型的な軍国少年だった」15歳のとき、東京陸軍少年飛行兵学校に第17期生として入校。以来、3度にわたる「九死に一生を得る」経験をしてきた。...(続きを読む)
2025年7月18日号
平塚市徳延在住 古谷さん
平塚市徳延在住の古谷公利さん(87)は、1945年4月15日の川崎大空襲と、同年7月16日深夜から17日未明の平塚空襲を経験した。戦争関連の記事がスクラ...(続きを読む)
2025年7月18日号
戦後80年 語り継ぐ記憶
漫画家 ビッグ錠さん
『包丁人味平』などの作品で知られる漫画家のビッグ錠さん(85)。大阪に生まれ育ち、壮絶な空襲体験や戦後の焼け跡の記憶が今なお残る。約40年後に描かれた『風のゴ...(続きを読む)
2025年7月11日号
逗子市在住 千田充子さん
逗子市は空襲を受けることなく、戦禍を免れたが、市井の人々の生活には戦争が影を落としていた。千田充子さん(98)は女学校時代を戦時下で過ごし、「学び」の時間を奪...(続きを読む)
2025年7月11日号
大豆戸町在住 藤本志壽子(しずこ)さん
”ズズズーン”と下から突き上げるような地響きがした。 藤本志壽子さん(93)は大阪への空襲が始まった1944年、小学生だった。当時は京...(続きを読む)
2025年7月10日号
横浜市在住 佐藤美津紀さん
1945年8月9日午前11時2分、当時16歳の佐藤美津紀さん(港南区在住/96)は長崎の爆心地から3Kmの場所で被ばくした。「勇気がなくて積極的に話してこなか...(続きを読む)
2025年7月10日号
青葉台在住 秦良允(よしまさ)さん
秦良允(よしまさ)さん(87)は1938年5月に東京都麹町で生まれた。実家は銀座で時計店を営んでおり、その2階で暮らしていた。1歳で新宿に引っ越し。第二次世界...(続きを読む)
2025年7月10日号
新石川在住 工藤義直さん
石川下谷地区の國學院大學たまプラーザキャンパスのグラウンドが、日本軍の射撃演習場の跡地に建てられたことを知る人は少ないかもしれない。新石川在住の工藤義直さん(...(続きを読む)
2025年7月3日号
寺田町在住 串田玲子さん
終戦の約2週間前の8月2日の未明、寝静まった八王子の街を、すさまじい爆撃が襲ったー。 串田玲子さん(89・寺田町在住)は、のちに死者約...(続きを読む)
2025年7月3日号
戦後80年 語り継ぐ記憶
沼上登さん
「あれ、さっき寝たばかりなのに、もう朝が来た」。1945年7月16日真夜中、平塚市を襲ったのは132機のB29。平塚市出身で、現在は藤沢市内で工務店を営む沼上...(続きを読む)
2025年6月27日号
大豆戸町在住 武田信治さん
「舟もお宮も作ってね。この家も自分で建てた」。大豆戸町在住の武田信治さん(95)は、大工の棟梁としてさまざまな建築業に従事。鶴見川に和舟を浮かべる「舟運復活プ...(続きを読む)
2025年6月19日号
戦後80年 語り継ぐ記憶
和田篤泰さん
辻堂で100年以上に渡り、葬送などに関わる事業を営んできた(株)和田の3代目・和田篤泰さん(84)。生粋の辻堂育ちの記憶に深く刻まれているのが、2度にわたる艦...(続きを読む)
2025年6月13日号
戦後80年 語り継ぐ記憶
ラジオDJ 在津紀元さん
毎週日曜午後6時からレディオ湘南で放送される「ざいつきげんの音楽鍋」でパーソナリティを務め、明るいトークと選曲でリスナーを魅了するラジオDJ・在津紀元さん(8...(続きを読む)
2025年6月6日号
戦後80年 戦禍の記憶【5】 麻生区白山在住 相原 多恵子さん(90)
縁故疎開も複雑な胸中
「『ヒュルヒュルヒュル』という焼夷(しょうい)弾の音と『ゴー』という爆弾の音が聞き分けられるくらい、戦争が身近になっていた」 国民学...(続きを読む)
2025年6月6日号
高田西在住 栗原茂夫さん
1935年4月13日、開拓移民の子として南洋サイパン島南村ダンダンに生まれ、終戦後数カ月まで島内で過ごした栗原茂夫さん(90)。自身が経験した第二次世界大戦中...(続きを読む)
2025年6月5日号
戦後80年 戦禍の記憶【4】 宮前区在住 小川辰夫さん(97)
「唯一の兵器」に祝杯も
志願して旧日本陸軍の秘密戦研究施設「登戸研究所」で働いた。当時まだ16歳。働き始めの仕事は旋盤工だったが、ある時から同世代の少年たちと特別なミッションを...(続きを読む)
2025年5月30日号
綱島台在住 飯田助知さん
綱島に1945年4月、焼夷弾の雨が降った。当時小学2年生だった港北区綱島台在住の飯田助知(すけとも)さん(87)に、その時の話を聞いた。...(続きを読む)
2025年5月29日号
綱島東在住の椎橋忠男さん(98)は、政治家や医者として地域の為に尽力してきた名士・椎橋家の9代目として、大豆戸町で生まれ育った。大綱小学校、神奈川県立横...(続きを読む)
2025年5月18日号
戦後80年 戦禍の記憶【3】 中原区在住 吉田 恵美子さん(86)
「今でもサツマイモが嫌い」
元住吉は田んぼや畑が広がり、春には菜の花が一面に咲き渡る、のどかな場所だった。幸いにも焼け野原になることはなく、死線を越えるような経験はない。それでも戦争は、...(続きを読む)
2025年5月16日号
戦後80年 戦禍の記憶【2】 麻生区在住 ふじた あさやさん(91)
「自分事として見つめる体験を」
たった一夜で、家が、人が、まちが、なくなった――。 東京都生まれ。国民学校(小学)5年生だった1944年の初夏から、学童疎開が始まって...(続きを読む)
2025年5月2日号
中原区上平間在住 大塚ミネさん(93)
「生き抜いて80年 生かされて80年 まだ生きる」――。戦後80年の今年、そんな句を詠んだ。 新潟県刈束郡高柳村生まれ。教員や議員を務...(続きを読む)
2025年4月4日号
手記からたどる決戦の風景
終戦から80年の節目にあたり、政治やメディアなどあらゆる場で先の大戦に関する話題が取り上げられている。教育現場でも当時の記録を振り返る機会が設けられる中、我が...(続きを読む)
2025年10月24日号
戦後80年に平和イベント
伊勢原市が平和の大切さを次世代に継承することを目的に、8月22日から24日まで市民文化会館で「平和を祈念するパネル展示」を開催。また、今年戦後80年を迎えるに...(続きを読む)
2025年8月28日号
鶴巻中生が式典に初参加
終戦から80年の節目を迎えた8月15日、「秦野市戦没者追悼平和祈念式典」が平和祈念公園(平沢)で行われた。今年は次代を担う若者を代表し、初めて鶴巻中学校の生徒...(続きを読む)
2025年8月22日号
元小学校教諭 鴨志田聡さん(70)
「茅ヶ崎は『第2の沖縄』になっていたかもしれない」。そう話すのは鴨志田聡さん(70)だ。 鴨志田さんは茅ヶ崎市内で38年間、小学校の教...(続きを読む)
2025年8月15日号
つどいとパネル展を企画
戦後80年の節目となる今年、伊勢原市は「戦後80年事業 平和のつどい」を開催する。戦争を体験していない世代に平和の尊さを伝え、平和について考えるきっかけとする...(続きを読む)
2025年8月15日号
戦時下の交流、足跡今も
国道1号沿い、箱根町芦之湯の温泉旅館・松坂屋本店の東隣にある「阿字ヶ池」は、第二次世界大戦中にドイツ海軍将兵によって掘られた防火用水池だ。戦後80年を迎える中...(続きを読む)
2025年8月9日号
遺骨収集、平和への願い
「父はどんな所で亡くなったんだろう。それを知りたくて硫黄島を訪れました」。太平洋戦争末期、日米両軍による激しい地上戦が展開された硫黄島。同島で命を落とした父を...(続きを読む)
2025年8月7日号
史実あぶりだした映画監督
戦後の横須賀には、駐留軍兵士と日本人女性との間に多くの子どもが生まれた。彼らは「GIベイビー」「混血児」と呼ばれ、実際の数は定かではないが、当時の日本国内に2...(続きを読む)
2025年7月25日号
旧走水小の陶製「二宮金次郎像」
戦時下の資源不足を補うため、政府が金属供出の運動を展開したことは広く知られている。寺院の梵鐘など、鉄・銅・青銅が集められ兵器に姿を変えた。...(続きを読む)
2025年7月18日号
戦後80年 語り継ぐ記憶
桜台在住 湯原靖雄さん
桜台在住の湯原靖雄さん(80)は昨年、母・ツヤさん(享年104歳)を見送った。戦中は満州で生後間もない靖雄さんを負ぶっていたという母。相続の手続きで過去の資料...(続きを読む)
2025年7月17日号
沖縄の伝統染物「琉球紅型」
鮮やかな色彩と沖縄の自然をモチーフにした柄が特徴的な染物「琉球紅型(りゅうきゅうびんがた)」。太平洋戦争中、戦火を逃れて横須賀に疎開した沖縄県民が柄の見本とし...(続きを読む)
2025年7月11日号
戦後80年 語り継ぐ記憶
小田原市石橋在住 鈴木敏治さん
小田原市石橋在住の鈴木敏治さん(71)宅で今年5月、父・重治さんが第二次世界大戦中に戦地である東南アジアで作成したアルバムが見つかった。収録されている約100...(続きを読む)
2025年7月5日号
戦後80年 語り継ぐ記憶
湘南高校OB 鈴木和臣さん
開校から100年以上が経過した市内の進学校、県立湘南高校。記者は同校の歴史を調べる中で、「藤沢を戦火から守った」とされるアメリカ人教師「ピーク先生」の存在を知...(続きを読む)
2025年6月20日号
横浜大空襲から80年
「奥津家に疎開」の女性の記
80年前の1945年5月29日、容赦なく降り注ぐ焼夷弾が横浜の市街地を焼き払った。のちに横浜大空襲と呼ばれるその惨禍を生後9カ月の身で生き延びた女性が戦中戦後...(続きを読む)
2025年5月29日号

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