大正末期〜昭和の北山田から 第18回 都筑区の歴史を紐解く 文・絵 男全冨雄(『望郷』から引用)
陸上競技【2】
中川駅伝は中川小学校から東山田、野川、馬絹、有馬、江田、中川を結ぶ一周でした。
北山田はいつも優勝していた。
青年会の運動会も連続優勝し、他町からうらやましがられた。仕事を終えて夕方から倶楽部で練習が行われた。強制されずに自発的に出ていたが、責任感が強かったのか、黙々と練習にはげんだ。
長距離練習は、綱島橋の欄干にタッチして帰ってきた。ある人が綱島橋でこれを見て、北山田が勝つわけだと話してくれた。
優勝した時は学校から隊列を組み、優勝旗を先頭に富士若の歌を歌いながら、倶楽部まで凱旋後進をして団結を鼓舞した。
飛びぬけた選手はいなかったが、全員がかばいあい、”俺が”という人がいなかったのが、結束出来た要因と思う。若いうちには、よい経験であった。
とかく集団の中で、”俺は優秀なんだ″と鼓舞する人がいるが、宣伝しなくても世間が認めてくれるのが大事なことだと思った。青年学校、青年団、青年会、戦前、戦後と、頂点からどん底までの経験は、何にも増して宝と思う。
|
|
|
|
|
|