都筑区出身のプロサッカー選手が日本代表「サムライブルー」のユニフォームに袖を通した。
現在、横浜F・マリノスの守備的選手(DF)として活躍する畠中槙之輔さん(23)=人物風土記で紹介=は小学生時代に区内を拠点とする横浜すみれSCで汗を流した。当時の畠中選手を知る末吉雅廣代表(67・後列左)と安藤保彦監督(54・後列右)に話を聞いた。
港北ニュータウン造成中の1986年、末吉代表がすみれが丘小学校を母体に同クラブの前身、すみれが丘少年サッカークラブを設立。北山田小、牛久保小、中川西小と都筑区北部を拠点とする学校が増え、1999年に現在の横浜すみれSCに名称変更した。安藤監督の息子が畠中選手をクラブに誘い、小学校1年生の時に入門。「体が大きくて、運動神経がいい。がっちりしていた」と安藤監督、末吉代表は「回りの子どもに比べて、頭一つ出ていた。特にボールを蹴るシュート力は目を見張るものがあった」と当時の印象について語る。
また口を揃えて「負けず嫌いで努力家」と表現する。ボールを落とさずに足などで蹴る「リフティンング」は2年生当時でサッカーグラウンドを往復して進む技術もあったそうだ。今年も同クラブの初蹴りに参加した畠中選手について、末吉代表は「海外で活躍して欲しい」と話し、安藤監督は「日本代表に定着して海外でプレーしてもらいたい」とエールを送る。
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