大正末期〜昭和の北山田から 第63回 都筑区の歴史を紐解く 文・絵 男全(おまた)冨雄(『望郷』から引用)
住民表示
北山田で住居表示が実施された時、混乱がありました。
北山田では年々人口が増加して今日まで経過しましたが、先輩の指導で、すでに過去二回も町名について住民投票が行われ「北山田」と決定しておりました。
行政から住居表示の要請があり、すでに決まっている「北山田」でお願いする予定でしたが、新住民より再々度投票を実施するよう要望があり、その要望を受けたのが混乱の始まりでした。
一部の方ですが、「町会の運営が悪い、何回投票しても北山田に決定してしまう」と異論を唱えて投票を棄権し、結果は圧倒的多数で「北山田」に再々度決定しました。
ところが棄権された方々は公園に集まり、町会長を呼び出し、取り囲み、「この場で北山田の町名を取り消せ。北山田では土地の値段が下がる。山田では田舎臭い。案山子(かかし)を思い出す。山田は百姓のイメージが強い。北山田以外の町名にすると今、約束しろ。お前は態度が悪い。知り合いにも北山田に住んでいるとみっともなくて言えない」、と詰め寄ったのです。
いかに町会役員はボランティアとはいえ、侮辱と差別的な発言に情けなく思ったが、町会を理解し支持してくれる大勢の地域の方々の支えを信じて、二時間に及ぶ罵声(ばせい)に耐えた。
残念ながら一部の方は町会を脱会されたが、個々の方は思いやりのある優しい方が多く、みじめさは過去に去り、信じあえる友人が増えつつある現在は、感謝しております。
行政の立場とすれば、造成によって姿は変わり、地名も変わっては故郷の証(あかし)が何も残らない。新しい町名が生まれているが、せめて谷戸名を残すことはできないかとアドバイスをしてくれて、現在に至っております。
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