大正末期〜昭和の北山田から 第64回 都筑区の歴史を紐解く 文・絵 男全(おまた)冨雄(『望郷』から引用)
住民表示【2】
町名を生かすも殺すも、そこに住む住民が、町の価値観を育てていくものと信じております。都筑郡中川村山田二区から、昭和十四年四月に横浜市に合併、山田一区は南山田に、三区が東山田に、二区が北山田になり、現在は日本一の室内水泳競技場が北山田七丁目の丘に建っています。
二丁目には北山田地区センターが活動を始めました。予定されている環状鉄道の北山田駅が、第二の故郷の土台となってくれることを信じております。
室内水泳競技場誘致
平成七年初夏、教育委員会より北山田に国際室内水泳競技場を建設するため、公聴会を開きたい話があった。公述人の募集があり、自選公選を含めて地域から応募した二十名と、参考人として北山田・南山田町会長が意見を述べた。
北山田公民館二階で、午後六時より横浜市教育委員会職員の司会により開催された公聴会は、市・区教育委員会、建設業者など、四十名が出席されたが、異常な緊張の雰囲気であった。
公述人の賛成の主な意見は、高台にプールができれば、災害時の緊急飲料水や防災にも利用でき、人の流れができれば、交通問題、特に環状鉄道早期開通の援護になる。
地域の健康上にも水泳は老若男女を問わず、利用できる。
以上が誘致の最大理由と意見を述べていただき、ありがたかった。
一部には、交通渋滞、騒音等、反対意見が出たが、大勢が賛成であり公聴会は無事終わった。全町区画整理の混迷の中での朗報でした。
=続く
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