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旭区・瀬谷区

公開日:2012.04.19

駅とともに発展した街

  • 1957年ごろの様子=山田公雄さん提供

 戦前、畑ばかりで何もなかったという希望が丘。しかし終戦からわずか3年後の1948年、相鉄線希望ヶ丘駅の開業とともに、まちは発展していったという。



 駅名の「希望ヶ丘」は、戦後の混乱期から立ち直り「明るい未来を目指す」という意味がこめられ、一般公募で付けられた。



 希望が丘は54〜61年にかけて、相模鉄道や横浜市などによって分譲住宅が造られ、人口も増加。希望ヶ丘小学校の児童数は、一時2000人を超えていた。



 駅開業時は一軒も店舗がなかったという現在の希望が丘商店会付近。50年代から商店も増え始め、今では100以上の店舗が商売を営む、にぎやかな商店会へと生まれ変わった。

 

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