とつか歴史探訪 ■〜旧東海道・戸塚宿を訪ねる〜第69話 〜いつまでも鎌倉郡33観音〜
江戸時代になると庶民に観音巡礼が広まり、関東の坂東33ヶ所が生まれ、上方の観音巡礼は西国33ヶ所と言われるようになりました。秩父34観音めぐりと合せ100観音とも言われています。
鎌倉郡にも戸塚を含めた地域に、「鎌倉郡33観音霊場」として江戸中期には霊場巡りが成立していたと思われます。現在の行政区画での分布は、鎌倉市・11、逗子市・3、藤沢市・2、横浜市・17で、その内の7箇所が戸塚区内にありました。ただ明治の廃仏毀釈などで、廃寺になるものも多く、明治から大正期には忘れ去られていったようです。
区内7箇所の内、現存が確認できるのは、いずれも舞岡町にあるお寺で、第19番・長福時(桜堂)の十一面観音、第20番・円福寺の同じく十一面観音のみとなっています。既になくなったのは、第21番・蔵田寺(さそう堂)千手観音、第27番・宝寿院の十一面観音、第28番・大運寺(浅間堂)十一面観音、第30番・灯明寺(大雲庵)十一面観音などです。最近では第22番・清源院(朝日堂)の千手観音は寺の改築に伴い平成最後に朝日堂がなくなってしまいました。ただ千手観音は本堂には祀ってあるとのことです。尚、鎌倉市内のみを対象とした鎌倉33観音霊場とは名前は似ていますが別の霊場巡りとなります。
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4月18日