掲載号:2009年10月29日号
○…今はなき本郷幼稚園から本郷小、中学校へ進み、柏陽高校へ。大学に進学するまで「栄区から出たことがなかった」と笑う、生粋の栄区育ち。今回、さかえ区民活動センターが主催する「さかえ・わいわい塾」の講師として、初めて生まれ育った地で講演する。「栄区からの依頼は初めてで驚いた」と地元での講演には緊張もあるが、楽しみ。アナウンサー経験の中で学んだコミュニケーション術を区民に伝える。
○…「人の役にたつ・長く続けられる・憧れたことがある・キャリアが武器になる」を条件に就職先を選ぶ際、祖母の勧めでアナウンサーを候補に加えた。小・中・高校と合唱部に所属し、小学校では放送委員会の委員長。声を出すことは日常だったが、「アナウンサーを意識したことはなかった」という。カメラの前で話題の人物について話す入社試験では、黒柳徹子さんについて話し、堂々とモノマネも披露。帰宅後、母に報告すると「入社試験でモノマネなんて」と怒られたことは「20年以上経った今でも忘れない」。「欲がなかったことがよかった」と、高倍率の入社試験を強烈なインパクトで突破した。
○…「幼いころから好奇心旺盛で活発だった」というが、入社後の新人研修では、頭で分かっていても言葉や行動にできない自分に悩み、「辞めたい」と考えたことも。それでも数々の報道番組や社会部記者などを経験する中で、時代とともに自分の仕事があることを実感。今では「誰かのために最良の“ほんのちょっと”を送り出すことができる良い仕事」と誇りを持ち、母親のような気持ちで後輩の育成にもあたっている。
○…「声は本当の姿を誤解なく誰かに伝え、聞いてもらうためのもの」。わいわい塾でも思いを伝える楽しさを、実践を交えつつ指導する。幼少時代、一番の文化発信地だった天神橋商店街、通学路だったいたち川沿い。思い出が詰まった地元に、元気な声を響かせる。
2016年6月16日号
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