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連載 かねさわ地名抄 第6回「白山道」 文・NPO法人 横濱金澤シティガイド協会

公開:2013年2月28日

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今なお残る白山社
今なお残る白山社

 京急金沢文庫駅西口のターミナルから出ている「白山道(はくさんどう)循環」バス。路線の道幅が狭く、小型バスで運行されています。

 この「白山道」とは、古くは「しらやまみち」と呼ばれ、鎌倉時代以前からの古道です。鎌倉の十二所(じゅうにそ)から和泉ヶ谷(やつ)を経て、相武隧道の上を通り、関東学院大学金沢文庫キャンパスを横断。さらに、宮川右支川に沿って白山道奥磨崖仏(まがいぶつ)、白山社、東光禅寺、「白山道」バス停、坂本などを経て手子神社に至る道を指します。1305(嘉元33) 年に瀬戸橋ができるまでは、鎌倉と金沢北条氏が創建した称名寺を内海の岸に沿って結ぶ重要な路でした。

 「白山道」の地名の由来は、東光寺谷奥(現釜利谷南二丁目)の北側崖にある、やぐらに白山妙理大権現を祀る「白山社」によるとされています。

 近くには「東光寺跡」があり、鎌倉幕府の功臣・畠山重忠が建仁年間(1201〜4年)に鎌倉・薬師ヶ谷(現鎌倉宮)に創建した「医王山東光寺」が起源と伝わります。応仁年間(1467〜9年)に釜利谷白山堂に移り、山号を変え「白山東光寺」となりました。その後、関東大震災で倒壊。昭和初期に現在地に移して再建され、名称も「白山東光禅寺」となったものです。本尊の薬師如来像(横浜市指定有形文化財)は重忠の念持仏とされ、近くに重忠の供養塔もあります。

 現在、行政上の地名として「白山道」は残されていません。しかし地元では、六浦とを結ぶ「白山道隧道」、「白山道町内会館」など、白山道の名が大切にされています。

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