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連載 かねさわ地名抄 第12回「平潟」 文・NPO法人 横濱金澤シティガイド協会

公開:2013年5月23日

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広重が描いた「平潟落雁」
広重が描いた「平潟落雁」

 「名所和歌物語」(1614年)に記載された「平沙落雁はひらかた」の「ひらかた」が、「平潟」の地名として最初に表れたものです。「鎌倉物語」(1659年)にも「ひらかたと云所」と、「平潟落雁」に関わる記述があります。

 近世初頭には洲崎・平潟・野島にかけて入江で、野島は陸続きでした。江戸時代になると新田開発が始まり、湾内は埋め立てられていきました。1668(寛文8)年、長島祐伯(泥亀)が「平潟」に新田を開発しました。同時に開発した「走川」の新田と共に「泥亀新田」と命名されました。ここでは製塩が行われていて、「平潟塩田(金沢塩田ともいう)」があった所です。

 金沢での塩業は明治時代まで盛んでしたが、1905(明治38)年の塩専売法の施行で終息しました。跡地は農地になり、昭和期以降は宅地化されました。

 幕末の絵師・歌川広重作の金沢八景図の一つ「平潟落雁」は、現在の平潟町・乙舳(おっとも)町辺りを中心とした景色です。引潮時の洲浜で土地の老若男女が貝を採っていて、その向こう乙艫(おっとも)の海には、漁船と落ちゆく雁の列が描かれています。この辺りには室町時代からの塩田もあり、左手につながる「洲崎晴嵐」の図には塩田の一部が描かれています。当時の平潟の情景がよくわかります。

 現在の「平潟町」は、1936(昭和11)年の横浜市編入時にできた「金沢洲崎町」の一部から1939(昭和14)年に新設された町です。1948(昭和23)年の金沢区新設に伴い、磯子区から編入されました。

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