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大橋新太郎と金沢文庫(下) 文・高橋悠介(県立金沢文庫学芸員)

公開:2013年6月20日

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県立金沢文庫(旧館)
県立金沢文庫(旧館)

 明治の出版王・大橋新太郎が金沢の地に縁を持った契機は、1905(明治38)年、旧越後与板藩主井伊家の別荘を買い受けたことです。大橋はこの地をとても気に入り、同年3月に子爵・井伊直安から寺前の1090坪余りを買った後も近隣の地を買い増し、1916(大正5)年に泥亀の17万2400坪余りを入手しました。大橋は最終的に19万余坪を有する大地主となり、一族もそこで養鶏場や釣堀を経営しました。

 1923(大正12)年の関東大震災の際、称名寺では、かつて伊藤博文の尽力で復興された金沢文庫の石倉等も含め堂棟が被災し、鐘楼も崩壊します。その際、大橋新太郎夫妻は数回の寄付を行い、本堂や鐘楼などを復旧しました。

 そうした状況の中、称名寺住職・小林憲住は、神奈川県知事・池田宏に金沢文庫の再建を提言。知事はこれを社会教育施設の設立と合わせ、昭和天皇即位御大典の記念事業として県議会に提案します。10万円を要するこの事業はそのままでは通りませんでしたが、5万円を寄付する者があれば県が5万円を支出するという妥協案が出て、大橋が寄付を快諾。1930(昭和5)年の県立金沢文庫開館を迎えることになります。

 大橋は、その後も陳列や整理のための棚や箱、火災防止の鎧戸を金沢文庫に寄付し、称名寺にも収集した古美術品を寄付。金沢北条氏の墓所も整備しました。

 1928(昭和3)年に大橋新太郎と池田知事が交わした契約書の中には、金沢文庫を「神奈川県ノ経営ト為シ永久ニ維持スルコト」とあります。大橋が、建築物だけでなく、金沢文庫自体の永続を契約に盛り込み、貴重な文化財の保存に貢献したのは、多くの事績の中でも特筆すべきことでしょう。

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