連載 かねさわ地名抄 第19回「泥亀町」 文・NPO法人 横濱金澤シティガイド協会
泥亀は「どろがめ」とも読みそうですが、「でいき」と読みます。区役所、警察署等の官公庁や大型商業施設が集中する金沢区の心臓部を形成している街です。
この辺りは、古くは平潟湾の一部で内海、あるいは入り江と呼ばれた浅瀬でした。1668(寛文8)年、江戸・湯島聖堂の儒官であった永島祐伯(ゆうはく)が走川(現寺前)と平潟(現平潟町)に新田を作り、祐伯の「号」から「泥亀新田」と名付けられました。
その後新田は地震、津波、高潮などによって荒廃しましたが、永島家の代々が事業を継承し、1849(嘉永2)年、9代忠篤の頃に泥亀新田を復興し、新たに入江新田を開発して77町歩(77ha)の水田、塩田、畑地などを完成させました。永島家9代・約200年の歳月を費やした苦闘の大事業でした。現在の泥亀、大川、釜利谷東、寺前の一部と平潟町、乙舳町の一部を含む広大な区域で、走川・平潟・入江の三新田を合せて「泥亀新田」と称し、1875(明治8)年に泥亀新田村となりました。
泥亀新田では、明治30年頃から蓮根栽培が普及し、谷津、釜利谷方面まで広がり、夏には美しいハスの花が咲き誇りました。
昭和30年代、この一帯を埋め立てる再開発が計画され、40年代前半には国道16号線の泥亀バイパスが開通、続いて区役所などが開設されて現在の街並みになりました。
「泥亀新田」に由来する遺構として、1785(天明5)年頃に築造された水門が姫小島に復元され、当時を偲ばせています。また、金沢区発展の礎を築いた永島家の人々は洲崎町・龍華寺の一隅に眠っています。
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