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連載 かねさわ地名抄 第26回「阿王ケ台」 文・NPO法人 横濱金澤シティガイド協会

公開:2014年4月17日

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 釜利谷東4丁目の丘陵部に広がる阿王台団地と、同3丁目金沢文庫コーポランドの地は、それぞれ西青ヶ台、東青ヶ台と呼ばれていました。

 西青ヶ台の地では、1941(昭和16)年に遺跡の発掘調査を、1967(昭和42)年には団地造成の事前調査が行われました。二度の調査で発掘された住居跡の堆積土中に、多量の貝が確認されました。その様子から、廃絶した住居の跡地に貝を廃棄したため貝塚が形成されたことかわかり、「青ヶ台貝塚」と称されるようになりました。

 また、縄文時代中期の加曽利式土器や釣り針などの骨角器も多数見つかっています(横浜市金沢区青ヶ台貝塚発掘調査概報)。竪穴住居跡や敷石住居跡なども発見されたことで、縄文時代の住民にとって海山の幸に恵まれた居住適地だったことがわかりました。

 鎌倉時代末期には鎌倉幕府第15代執権金沢貞顕の子で幕府引付衆や評定衆兼官途奉行等を歴任した金沢冬貞(右馬助)の居館「青ヶ台城」があったとされています。

 金沢冬貞は、元弘の乱で大活躍した幕府の名将です。『新編武蔵国風土記稿』によると、この居館跡は金沢城とも呼ばれ、深い谷を挟んで東と西の二箇所あり山頂は平坦地で、いかにも城塁を構えた地形であったと記述されています。

 現在は宅地化のため一帯は削平され、遺構は何ら残っておらず真偽は不明ですが、かろうじて西側には「青ヶ台(あおがだい)」の地名が、跡地には1970(昭和45年)から1988(昭和63年)に鉱住協が造成した「阿王台(あおがだい)団地」が残りました。

訂正

 第25回「北台展望台」の文中に誤りがありました。本文17行目、23行目、25行目の「ツクモ」は「クツモ」です。また21行目の「塩」は「潮」です。訂正します。

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